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なぜ、「知りたい」、と思わないのか? 私には不思議に思えて仕方ないこと

前回も書きましたが、私は尿に糖を出す糖尿病の治療薬は5種類だけだと思っています。 スーグラは「毒」だと思っているので、カテゴリーに入れてないのです。 当初、発売が早かったのが「スーグラ」でしたが、私は、2番目にでた「フォシーガ」を選び、糖尿病学会は1年以上「処方するな」というニュアンスを学会員にだしていましたが、私自身は「理にかなった薬剤だ」と思っており、多くの循環器専門医の方が先に処方をしていたのが現状です。

しかし、世間で「この薬には脱水性の皮膚炎が起こる」という、どこかの石頭の医師が言いだして、妙なことになりました。 それは心不全の患者さんで、利尿剤が効きすぎて、逆に脱水になったりしても、また脱水で来院されるかたで、皮膚炎は起こらないことをみんな知っているからです。 私は納得がいきませんでしたので、論文を探して、たどり着いたのが、「スーグラはできれば使わない方がいいです」というニュアンスが込められた論文です。 動物実験の論文ではあるのですが、脱水性の皮膚炎などではないことがわかりました。
「おかしい」と思ったことを、そのままにするのは、医師の資質にかけます。 早く、スーグラの処方がゼロ、になる県になってほしいと思いますが、こういった記事や他の記事でも必ず同じようなことが書かれると思いますが、それを見てから処方をやめる医師は、きっとこの先も危ない薬を、製薬会社からの勧めだけで処方することになるのだと思います。
昔の本で、医師は10年たったらみんなレベルは同じだ、と書かれた本をみて医学生のころ安心していましたが、医師ほど生涯研鑽が必要な職業だと医師1年目に思いました。

開業医の腕は、英文で論文を書かないと、落ちる。 これは私の信条であり、おそらく間違ってないと思います。

第三者の評価をうけないと、自分なりの昔ながらの治療となってしまうこと。

また英文で書くには、最新の英語論文を読まないと書けません。 日本人でも、最新の研究結果は英文で論文を99%書くので、和文の論文では情報が遅くなるからです。

医学博士になるには論文が必要です。 しかし、自分で書かずに、他人が書いた論文で医学博士になり、自分の(?実際は違う)論文はその1枚だけ、という医者がいることは事実です。

開業しても、私は論文を書き続けることを厭わない理由の一つです。 最近は英語論文を訳した日本語のガイダンスを語る医師が増えた気がします。 微妙なニュアンスが実際に英文で読まないとわからないことが多いのです。 この人わかってないなー、と研究会では思うことがあります。 もちろん、凄いな、と思うことの方が多いのですが。