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萎縮医療・防衛医療とは? 

大野病院事件、加古川心筋梗塞事件、杏林大学割り箸事件が有名ですが、それ以前の1990年代から医療訴訟は多くなっており、救急患者を断る、命に関わる治療はしない方針の医師、が増えて来ました。 上記3つは、その引き金になった、という感じです。 もう大野病院事件から10年以上が経つのですが、この事件以降、お産をする産婦人科医が激減し、婦人科のみしたり、そもそも産婦人科医になる人が少なくなりました。 私は専門外ですが、この手術自体に問題がない、と判例ではでていますし、いわゆる常識的な手術が行われた結果、としか言いようがありません。 加古川心筋梗塞事件後は、循環器内科医で緊急カテーテル治療ができない病院では胸痛の患者さんを受け入れない病院が激増しました。 この事例から、ドクターズ・ディレイといって、適切に処置をしても、違う病院まで搬送するための時間がかかることから、最初から断った方が患者さんのためにもなる、という考えを医師全員(?)が持つようになりました。 割り箸事件後は、頭痛の患者さんにはCTが必須、MRIもとったうえで、放射線科の専門医が読影を緊急でしないといけない、という異様な雰囲気に医者の考えがなりました。 どの事例も、失われた命に関しては、本人はもとより、ご家族にとっては耐えられない事実であり、「こうしておけば大丈夫だったんじゃないか」という意見もあるでしょうし、私も思うところはあります。 どうしても私自身が医師ですので、医師をかばうような書き方になってしまっているのですが。
昔は、小児に頭部のCT検査は被曝の問題で、あまりしすぎるのはよくない、と教えられてきましたが、今の時代は「専門外は断る」「意味のない検査も含めてありとあらゆる検査をする」という、萎縮・防衛医療が主体です。 いい意味でも、悪い意味でも、医療がそうなった、とう事実は変えられませんし、今後もそういう流れになっていくでしょう。
私が医師になったときは、断ることが許されない病院ばかりを回っていたので(3大事件前後も関係なく)、私がとった手段は、専門外でも基本断らず、ありとあらゆる検査をして、その専門家と一緒に診る、という手段をとっていました。 例えば善通寺病院が断れば、違う病院まで30分以上かかるし、善通寺病院は全ての科が揃っているので、「断る理由」が逆にないのです。 放射線科の医師にも援護してもらいながら、自分でも専門外や画像を勉強することができました。 今の若い医師のなかには、現場で専門だけでなく総合的にみる医師は減って来ていると思います。