福沢諭吉は、「世の中で、1番みじめな事は、教養のないことである」と論じています。

また、「つもりちがい十ヶ条」でも、「高いつもりで 低いのが 教養」 ともされています。

患者さんは、それぞれ自分の得意分野の知識をもっており、私の場合は仕事上「医学の知識」となります。

私の医学の知識・教養が低ければ、患者さんに、最適な治療方針を伝えることができません。

よって、当院にかかってくださっている患者様には、「医学の教養」を深めてもらうためにできるだけ分かりやすく説明させていただきたいと思っています。

説明のない医療行為は犯罪に等しい、と思っています。

診断がつけば、もしくはつかなくても、検査・治療内容は、全国どこでも同じでないと駄目だと思っています。 もちろん患者さんとの相談の結果ですが、その時の最適な治療内容を提案する、そして検討してもらうことが大事だと考えます。 決定権は患者さんにありますが、提案が少なければ、決定することが出来ません。
独自の診断方法もときには重要かもしれませんが、適切かつその方に最も適した治療方針の提案をすることを心がけています。

そのためには、情報収集も大事ですし、自己研鑽も町医者にとっては最も重要だと思っています。 大きな病院に勤めていると、「デキる」医師の真似をすればいいだけだからです。

糖尿病とは、細胞内にインスリンの効果が落ちているか、末期では量が足りないため、糖が入りにくく、結果として血管内(細胞外)に糖が多く出てしまう病気です(その血液から尿がでるので、尿に糖が混じるのです)

インスリンを無理やり「自分の」膵臓から「一日中」出すことを強要する、この薬は、肝臓がしている、空腹時にコレステロールを分解してエネルギーにする行為をやめさせてしまいます。

インスリンを外から、「助けるように」打ってあげるのとでは大きな違いがあります。

明日(金曜日)より診療を再開いたします。

みなさま、お盆はいかがお過ごしだったでしょうか?

私は講演の準備、心臓リハビリの発表のデータ集め、論文の執筆準備、とメインの心エコー図検査の本が佳境になってきて、図にするか表にするか、などを決めていました。

家族とは1日徳島のお墓まいりをしてきただけ、となってしまいました。

より、いい診療を今後も心がけるようにして、みなさまに還元できるような研鑽をしたいと思っております。

 

私が主に研修(バイトで行ったりするのは教えてもらう範疇に入らないんで割愛)してきた、京都第一日赤、徳島大学病院、四国こどもとおとなの医療センターでは、だれも使用していませんでした。

大腸カメラでも、カメラが奥まで到達する(観察するのは主に引き抜くときにします)時間は、医師は平均5分を切っていました。

胃カメラでは絶対に使用していませんでした。 大腸カメラが私が入らない代わりに鼻からの胃カメラを私が他の医師から変わって挿入したこともあります。

実際問題として、ERCP(相当しんどい検査です)や、胆石を取り除く内視鏡的な手術(心臓カテーテル治療に似ています)、大腸カメラ時や胃瘻増設時に認知症があり暴れてしまう可能性がある方には、本人・ご家族の承諾をえて、鎮静剤(+鎮痛剤)の使用をしていました。

循環器の私からしたら、セデェーションで、心臓にかかる負担は、セルシン<ドルミカム(ミダゾラム)<プロポフォール(マイケル・ジャクソンが死亡したものだとされています)の順番に強くなると思っています。 救急で挿管する時は、導入が早いプロポフォールを使用する医師もいますが、私はセルシンを使用していました。1週間程度絶対安静が必要な方でもセルシンの持続注射を、心臓のことを考え使用していました。

さて、セデェーションは、「息が止まってしまうかもしれない」という状況まで、深く寝てもらう可能性があります。 そこまで強い鎮静はかけずに、すこしうとうとするように希望される方に私はセデェーションをしています。 胃カメラ(咽頭・喉頭・声帯・食堂・胃・十二指腸ビデオ)を当院ではしていますが、「完全に寝るリスク」が、高い、と判断しているからです。