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インターン時代から研修医、そしてマッチングの時代になった若手医師教育制度

私が医師になるだいぶ前はインターン制度といって、大学を卒業した後1年間の不安定な給料のもと、実地医療を積んだ後、医師国家試験をうけられる制度であり、約40年前に廃止されました。 この制度はどうだったか経験がないのでなんとも言えませんが、現在65歳以上の医師はその制度を受けていた可能性があります。 その後は法律上「研修医」という言葉はなく医師国家試験に合格した時点で「医師」となるのですが、どんな医師もどこかの医局に入るのが当然の時代でした。 流れとしては、卒業した大学に残ってそこの大学の医局に入り、その大学病院が「ジッツ」といって「支配」している病院に医局員を派遣して、臨床力を鍛える、大学病院では研究をする、という制度でした。 最近はマッチングといって、自分が行きたい大学や病院を書いて、医師国家試験以外に試験をうけて、そこに受かればその大学(医局ではない)や病院の「研修医」として、全科を2年間まわって、その後専門の科にはいるか、医局に入ります。
さて私は、マッチングに移行する前の世代です。 沖縄中部病院という有名な病院で研修医が過労死したのが衝撃的でしたが、私の周囲の友人は、逆に自分を鍛えたいから、医局はいつでも入れるので、一般病院に行きたい、といって英語でそこの病院の勉強をしていました。 私も、後からくるマッチングの医師に負けたくない(実際はマッチングの最初の時期はお粗末な制度(今は大学や病院によると思います)で、学生の延長だったので全然驚異は感じませんでした笑)という思いもあり、京都の日赤に受かり、上層部が教育熱心で、現場は慣れてない、という感じでしたが、2日に1日当直の手伝いをして、救急医療をしながら、消化器内科を目指し、糖尿病、循環器を中心に研修しました。 現在は、学生の取り合いのようで、「うちにくると、こんなことを教えます」、さらに「よくきてくれました。 当病院(大学含む)のどこかの科に入ってくれれば、こんなことを責任をもって教えるよ」 という時代です。 昔は努力しなくても「だいたい同じレベル」の医師が生産されていた時代(頑張ったり才能がある医師は特別伸びる、のは今も同じ)、から今は、「教えてもらって当然」という研修医も多く、実際はかなり自分の努力がないと、取り残されている医師も多いのでは、と思う医師もいました。 「教えてもらって当然」という医師の気持ちは分かります。 徳島大学時代は5年生の循環器の学生さんを教える係をしていたんですが、私は「背中をみて盗め」は大嫌いだったので、自分自身が教えられることはすべて教えてました。 やる気がある学生には、私の仕事が終わる(実際は終わってない)20時から学生に教えたり、病院勤務時も自分の知識や、「私の勉強法」のすべて教えていました(自分を出し惜しみする医師は多いのです) そうしないと、患者さんの迷惑になると思ったからです。
最後に、マッチング以降の医師は社会背景(医療崩壊)もあり、多様化していて、意識が低い医師もいれば、楽な科(もしくは厳しい科でも自分の手をよごさない仕事を専門にする)医師が増えています。 もちろん意識が高い医師もいますが、私の時代は、少なくとも、「地べたを這いずりながら」24時間勤務体制で患者さんを診て、そのかわり、上級医に極意を教えてもらったりしてもらっていたのですが、今の医師は、自動的に教えてもらえるので(そうしないと、その病院の科に入ってもらえないので)、ハングリーな医師の絶対数は減ったな、と思います。
医師という職業は、「お金儲け」ではないと思っています。 しかし最近は「サラリーマンになりたくないので医師になり、責任はもちたくない、プライドの高い公務員医師」が生産されている感じです(もちろん、徐々に意識が高い研修医もいて頼もしく感じます) 人それぞれの考え方があると思いますので、それを否定するわけではなく、私自身のスタイルは変わっておらず、自分の教えられる範囲のことは全て出し惜しみなく話すようにしています。