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内科を4つに分けると

循環器科、消化器科、内分泌内科、呼吸器科 の 4つに分けるとする。 他にも腎臓内科、神経内科、血液内科があるので7つと言えなくもないが、圧倒的に前4つに属する医師が多い。 ドラゴン・クエストというゲームをご存知だろうか? 私はVIあたりまでした記憶があるがそれ以降はしていないと思う。 さて、戦士や武道家などを循環器科や消化器科とすると、魔法使いや僧侶は内分泌内科や呼吸器科にあたる。 腎臓内科や神経内科も後者だろう。 緊急の案件が多いのが前者で、緊急は少ないのが後者とも言えるし、手技が多いのが前者、じっくりいろんな検査をしていくのが後者とも言える。 大病院ではどのかも大事だが、緊急を要する疾患といえば、胸痛、腹痛であろう。 なので最終拠点病院であるためには循環器科と消化器科が重要である。 最近は臓器別といって、大学の医局も民間と同じく循環器内科などと名乗るようになったが、以前は第二内科などと名乗ることも多かった(ちなみに高知大学医学部付属病院はいまだに第○内科であり、わかりにくく思わないだろうか?) さて、私が京都日赤で研修した後、実家で往診などを経験した後に(ここまでで既にこういった経歴が非常に珍しい)、後に高知で働くのになぜ徳島大学へ入局を決めたかというと、当時の徳島大学の第二内科は47都道府県のあらゆる医科大学のうち、唯一無二の「循環器科・消化器科」の戦士と武道家があわさなった科であったからである。 ちなみに、当時は高知医大が歴史が浅く、市内の大きな病院は徳島大学や岡山大学の医師が帰って来て働いている、という事実もあったが、それ以上に2つを同時に学べることは非常に魅力的だった。 徳島では「胃腸科内科・循環器科」などが普通にあるのはこのためである。 胃カメラやすい臓がんを見ながら、心臓カテーテル検査をすることが普通になることは、循環器内科医は腹痛に弱く、消化器内科医は胸痛に弱い、という弱点を補うためである。 ただしそのためには人の倍働かないといけない。 中途半端がもっともいけない。 そのため、循環器を軸に最終拠点病院である、国立善通寺病院ではありとあらゆる症例(患者さん)をみまくった。 1年で受け持った入院は700人を2年目でこした(850人を超す人がいたが、常に同じ人が入退院を繰り返していたので、その医師は少し別格とすると、3位の300-400人を考えると圧倒的に多い) それでいて、内訳は循環器が半分で他は消化器、糖尿病、甲状腺などの内分泌疾患、呼吸器科、神経内科(髄膜炎、パーキンソン病など)、ついには血液内科で急性白血病以外は一人だけなどではなく、最終的には自分一人で主治医をするまでになった。 これはその病院で「心エコー検査」が一番、という突破口があったので、その取引で他の疾患も見えるようになったのである。 放射線科の読影技術や「頭痛」や「脳梗塞」に対応できるように髄液検査などの手技も一人でやっていた。 1年間で人の倍を見るわけなので、集中治療室が私の患者さんだけで埋まったこともあった。 押し付けられるわけではなく、自発的にみる姿勢で勉強し、科の垣根を超えて指導してもらったことも大きかった。 そんななか、世界初の「循環器疾患で入院した後に、糖尿病の気があるため、免疫力が低下しているため、癌が隠れていることがあり、それが育って5年間で22%の癌が早期でみつかる」という論文に繋がった。 なんでも世界初はすごいことだと思っている。 その前にも、心臓の機能を4つの線(図)だけで説明する、というコンセプトの著書を出したが、未だに真似されることはあっても、さすがにそっくりそのまま、は著作権があるので用いられず、沖縄の有名病院で教科書として使われている。 「特許」の貧血チェッカーも、どの教科書や論文にも載ってない、世界初の発明である。 常に動いてないと時代を動かせないし、ただの循環器のエコーを得意とした、消化器内科や糖尿病もみえる町医者、という枠組みにされるのが嫌というのはある。 どの分野でも、このことにかけては負けない、という強みを持っていたいと思っている。 疑問に思ったことは夜間も気が抜けない勤務医時代(勤務医の忙しさにも雲泥の差があるが、楽な病院で働いたことがないので、一度働いて見たい、給料は楽な病院の方がいいのである、このカラクリはまた)と違い、自宅(やクリニック内)でそのままにせず、勉強をよりできる時間があるのがいい。 ただし、かなり多くの医師がおらず、図書館なども充実していないため、近森病院の図書館に出入りできるようにお願いしたほどである。 今年の4月までは時間が全くなかったが、今後はそういった施設も利用できそうである。 そういった勉強の楽しみはつきない。