昨日、高知県の心臓リハビリ研究会に出席させていただき、演題も出させていただきました。 雑多な内容で聴講されている方はついてこれていないいかも、と思いながらも、心リハをする医師は「急性期と慢性期を責任をもって治療に当たった経験が絶対に必要」ということ、また「心リハだけ、だと駄目。 教科書には書いてない経験から心リハが危ない、という予知ができないこと、循環器疾患のなかの一部でしかない心リハは、超音波を専門とする医師がするのが相性がよく、またガン検査ができないと、心疾患の方はインスリン抵抗性があるので心疾患になり、インスリン抵抗性はガンのリスクであるとわかっているので、全人的にみないとダメ」という詰め込みすぎた発表になりました。 学会では話さない内容を研究会であるので、自身の急性期(自身が責任者で開設)と慢性期(高知市では初めて外来心リハを開設)した医師が少ないと思い、その「経験」を喋った内容でした。

そのため、私は「きずなクリニック」を開業するときに、「心リハ」ではなく、県で初めて(?)の常勤の管理栄養士と一緒に働くことを選択しました。 心リハも準備が整えばする予定もありますが、なにせ、その日に栄養指導ができる(薬剤の変更時に栄養指導を聞くことで例えば糖尿病は有意によくなりますし、年に1度の栄養指導をうけることで、薬剤の増加、が増えない、という報告があるからです。 さらに心リハはすでに福田内科でしていますし、私も今も関わっているので、今のクリニック状況がベスト、だと思っています)
さて、医師も人付き合いが大事だと思いますし、そういったことで、紹介もしやすいし、連携もしやすいこともあります。 大学の先生とゴルフにいったり、飲み会に開業医の先生といったり、そういったことも大事だと思います。
私自身は、日曜日でも、普段の日でも、必ず(まぁ当然だと思っていますが)、9割の日で何かしら書き物をしています。 英文の論文を読んだりもしています。 また、一般教養として、本も読みます。 特に土曜日は徹夜(夜中3時が限界なので徹夜ではないですね)するチャンスです。 お酒が一滴でも入ると、絶対に間違うことがあるので、しないことにしてますが。 本日は、心リハの本の執筆依頼があるので、着手するようにしています。
論文もそろそろ、今年2枚目を書かないといけないな、と思いながら、、、 意外と忙しい、時間に追われる生活を、開業医でもしているのです。 (ただ、救急の最終拠点病院で働いていたことを考えると、その時間は全然質が違います。 つまり今はゆったりとできます。 高知市でいうと代表的なのは、近森病院、医療センター、高知赤十字病院などになると思います)
今も後輩や同期、先輩の医師がそういったところで働いています。 開業医として、サボらないようにしたい、と強く思います。 大学時代から、サボる人間は大嫌いでしたし、下手くそではいい、でも先輩・同期・後輩だとしても頑張らない人間には主将として注意してきました。 体育会系の人間だと大学時代に気づいたのですが、医師になって、そういう世界ではないな、と思っています。 思いっきりサボっている人間が多くいるのが現状で、私自身がそうならないように注意したいと思っています。 処世術に長けた医師でさらに勉強もできる医師もいて、羨ましく思いますが、処世術だけの医師は私は軽蔑します。 今後、病院ではなく、経験したことがない医師がクリニックで心リハをメインにした開業があるかもしれませんが、「心リハは経験が命です」 死なないから良いだろう、フクダ電子が教えてくれるから良いだろう、ではダメな理由も喋りました。 このまま心リハをしていれば、心リハ中に突然死したかもしれない例を紹介しました。 つまり、おいそれと経験ないところで、安定しているから、といって心リハをうけないことが重要で、本学会(全国学会)でも重要視されている部分です。
四国の他県でも、ひどいところがありました。 今はどうかわかりませんが、「それはもはや心リハではない」というものです。 全国学会でも、スキマ産業として、大病院で、「心リハは素晴らしい! こんなに効果があるなんて!」と「ハマった」経験がないと、開業はどうなのかな? と思います。 なぜなら、その効果は、大病院で自分でエコー、カテーテルをして、分かることだからです。 重症例ほど経験すればするほど「ハマり」ます。 見学だけでハマるのは、ちょっと違うのです。

私は小学生の頃から推理小説が好きで、大学生になってからは、ブログで短編や少し長めの推理小説を20個ほど、社会人になってからも書いています。 その推理小説はいわゆる、トリックが少し変わったもので、文章自体がトリック、という叙述トリックを用いています。 シャーロック・ホームズは好きですが、王道のサスペンスではないのですが。
さて、内科医師の仕事は推理小説に非常に似ています。 患者さんが「私の病気は○○です」という方がほとんどいません。 特に大きな病院ではそうです。 キーワードで一発診断ができる場合や、すべての可能性を考え、少しずつ検査をしながら残ったものが診断、ということもあります(このことが分からない医師がいますが、恐らく外科をしていて内科を標榜している場合、慣れてないのだな、と思います。 もちろん優秀な外科医は内科医よりも内科学に優れている場合も多々あります)
外科は「治した」という達成感があると思いますが、私自身が循環器内科で心臓カテーテル治療でその感覚はわかるので、外科医を目指す意味はなんとなくですがわかります。

究極は放射線科です。 内科でも外科でもそうですが、「診断さえ」つけば、あとは治療はほとんど決まっているのです。 その診断に、私の好きな聴診や視診、触診も大事ですが、CTだけで診断してしまうことに憧れ、放射線科医になりたかった、とすら思います(ただ放射線科医はドクターズ・ドクターと称され、医師に教える医師ですのでそうとう優秀でなくてはいけません)

しかし最高の内科医の醍醐味は、「症状がない病気を早期でみつけて健康寿命を延ばす」ということに尽きると思います。 徳島大学の第二内科に入局し、心臓カテーテル、各種エコー、胃カメラ、さらには虫垂炎の手術をこなしていた父親を見ていた私にとって、開業するにあたり、当然(虫垂炎の手術は別ですが)それらすべてが出来ることが当たり前を思って修行していました。

サボった挙句、その病院と折り合いがつかなくなって、気をてらった開業をする医師もいます。 私には信じられません。 大病院では「過労死するかも」と思って診療していたのですが、、、 自身の生活の質も大事だと思う医師もいると思いますし、私自身も若い若いと思っていましたが、36時間連続勤務などはもう出来ないでしょう。 しかし師匠の教えを守り、毎日、医学雑誌、論文を書くこと、執筆業などをすることで、医療の質を落とさないようにしています。

当院で働いている方は働き方、また当院にかかってくださっている患者様にはできるだけ、その方の事情に合わせて治療をしたい、と思っています。 私自身は、京都日赤で消化器内科を中心に研修していた時に、一旦実家である、福田心臓消化器内科で往診や町医者のことをして、その後、徳島大学の医局に入り、循環器内科だけでなく、放射線科まで研修し、心臓リハビリテーションセンター長をしていました。 その後、留学もさせていただきました。 開業するにあたって、通常、開業医のもとで研修する方は少ないと思います(私が知る限りでは私だけです) 往診(訪問診療)もしていたので、その方の病院での診療だけではなく、自宅でどのように暮らしていて、困っているか、が想像できるようになりました。 なので、当院にかかってくださっている患者様は私自身がその方の体の具合をわかっているので、事情に合わせて介護についても深く考えて、一番いい方法を模索していきたいと思い診療にあたっています。

しかし、制度のことなど(大事なことですが)で、深く考えていただけない場合もあり、私自身、患者様に申し訳ない、と思うことがあります。 医療人(医師以外でも)としては、自己防衛も大事であることはもちろんですが、患者さんの要望などを汲み取る努力をする必要があるのではないでしょうか?

これはあくまで私見でが、「自分の家族であればどうするか」、を考えない医師は医療をするべきではない、と思います。 医師免許をもった医療技術者(その技術も稚拙な場合もある)、と思います。 (もちろん、無理難題を要求された場合は別です)

とある先生のご講演で非常に感銘をうけた言葉です。 死生観まで話される先生で、私も見習わなければ、と思ったことでした。

四苦とは、生:生きることの苦しさ、病:病気になって苦しむこと、老:老いについて悩むこと、死:死にたくないという恐怖

のことです。 私にできることは、病気については治す、老いについてはリハビリをする、という治療が医師がならうことです。 心療内科では、生 についての専門家ですが、当院でもご高齢の方に対して、また若い方でも相談にのったり、一時的に投薬したりして、紹介もしています。

しかし、死について、私も考えることが、昔からあるのですが、その人その人の死生観もあるので、重視しながら、診療をしたいと思っています。 私自身が若いのですが、できるだけ相談や傾聴をしたいと思っています。 いたらない部分も医師も人間ですのであると思います。 日々勉強だと気付かされた講演でした。

私は一宮の当院を中心に半径2.5kmに住む方で、気管支炎になった時に、どのような薬に耐性ができているか、を四国で初めて論文にしました。 大きな病院ではできなくても、個人のクリニックでこのようなことをおこなって、mapにすれば、患者さんの住所がわかれば「出しても意味がない」抗生剤が減ります。 医師会がおこなうのは、このような行動ではないでしょうか? 私が会長や偉いさんならそのような提案をするでしょう。 そのが高知県医師会の売りにもなるし、一般の方の役に立つことなので。 気管支炎に対して初手を誤らないことになります。 当院には南国市や薊野からくる患者様もいますので、だいたい痰の帰ってきた結果をみると、このかたの住所は、、、とある程度推測できるようになりました。
さて、私は心エコーに関して2冊著書があります。 自費出版の自己満像本ではなく、売れる、ことが前提で売れなければ最初から発売などなし、の商業出版です。 35歳で医学書を書いた人(医師)はあまりいませんし、実は書いた人もいますが、全員その後教授になったり、その手の偉いポストにいる方だったりします。 開業医で若くして「どうやって出版にもちこんだの?」と質問してくる人は、私は大好きで、「同じ人種だ」と瞬時に思います。 そう、本を出した、ことよりも、その過程が気になる、という人種です。

ここまで抗生剤の使い方や、耐性化が問題になっているのに、なにも考えずに処方する方が、開業して思うのですが、恐ろしい。 だからと言ってたとえ感冒だとしても、ある一定の基準を満たせば、抗生剤の投与で39人中1人が肺炎にならずにすむのです(私は高い数字だと思っています、ちなみに対象がずれていたら4000人に1人となりますが、肺炎予防にはなるのです。 不勉強だと、ここを訳さずに、日本語ダイジェストで、「意味がない」という部分だけを切り取って見てしまうことでしょう)
「ほー、そのような論文があって、4つの薬には要注意なのか」だけで終わるのではなく、繋いで行って、高知県全体の耐性化を2-3年毎に見ていく取り組みを、「なぜしないのか?」 と思います。
医師会が受け取っている金額で統計学者を雇って、集まったデータからmapを作る、これだけなのです。 これが「本」の作り方です。 まず、新しい考え方、そしてなにより「売れる」ことです。 内科医師なら絶対に買うでしょう、当然です。 一病院に1冊の本となります。 また、一般の人も買うかもしれません、自分の体を守るために。