私自身、自戒の念を込めながらですが、「患者さんは医師を信頼しているのに、その医師はその気持ちに答えてないな」ということを、今まで何度も経験してきました。 もちろんその医師は答えているつもりかもしれませんが、処方から伝わってくるものもあります。 また患者さんがその医師を信頼している理由に、その筋ではちょっと有名だから、というのもあります。 このちょっと有名だから、には大きな落とし穴があるように感じます。

かなりオリジナル(エビデンス無視)な処方が目立ちます。 また84日以上の処方が出されたら、糖尿病、高血圧を、本気で診てくれてない、と思ってください。 「途中で来るな」という処方です。 1ヶ月の処方なら、季節の変わり目などで、処方を変更することができますが(仕事の都合でも2ヶ月が限界の量で、具合が悪ければいつでも来てもらうようにするのが重要ですが、3ヶ月一括処方、はありえません)

「同じことをしても、結果は同じか、悪くなる」という格言があります。 医療側も情熱を持って創意工夫をしながら治療をしていくとともに、患者さん側の意識変容をうながして、共に病気に立ち向かう姿勢を作ることが重要だと思います。 が、権威を傘にして、処方だしてけばいいだろう、という姿勢では「治る」ものも治りません。

最近そういった患者さんを2人診ました。 やるせない気持ちになります。 自分の祖父、祖母も同じような扱いを徳島県で受けていたからです。

私は、多くの患者さんを早く診る時につかわれる「患者さんをさばく」という言葉が、医師になってからずっと嫌いです。 おそらく、ほぼ使ってないと思います(ついつい使ってしまうことがあるかもしれません、ただ覚えてないくらいです) 医師や医療従事者では、全く悪気はなく、昔からの慣習で使われる言葉ですが、私はそういった隠語が嫌いです。 これはもう仕方がないことです。 私の性格なので。

私自身は医師の親友から聞いた、心理学の要素、「ラポールの形成」が重要だと思います。

ラポール、つまり、医師と患者さんの間に生まれる信頼関係 を 作ることが、医師にも患者さんにも有益だと思っています。

私自身、クリニックで意識しているのは、ラポールを形成すること、と、待ち時間短縮 です。

どちらも凄く難しい問題です。 なにせ「なんでもみる。 一つの診療科だけでなく、全身をみる」という看板をあげている以上、より難しいことですが、何も考えずに毎日、1時間、10分、1分、1秒を過ごすよりは、何かを意識して取り組む方がいいと思っています。

数年前から、高知県では「安心ネットワーク」というものがあり、これに参加している大病院、診療所では、患者さんの同意があれば、個人情報が「有事の際」でなくても閲覧できる、というものです。

建前は2つあり、有事の際、大きな病院に行けばその人の情報が薬手帳などがなくても大丈夫、ということと、普段でも病名や病気の情報などをかかったことがない病院でも閲覧できるので紹介などがなくても夜間の救急で大病院かかった時に役に立つだろうということです。

ただし、海外では、病気も含め個人情報が非常に大事、とされ、癌の告知をされなかったことで余命がわからず、被害を被った、という訴訟もあるほどです。

安心ネット というネーミングも 良いようですが、但し書きをつけるべきでしょう。 個人情報がもれない、ということが100%保証されることは断じてありません。 数年たっても高知市の診療所は8%の参加になっていますし、その診療所の中でも何人の患者さんが登録されているかは知らされていません。 登録だけして、患者さんは参加してない場合もあるかもしれません。

市の説明会はすごく曖昧で、本当に患者さんの個人情報が守られるのか疑問点がかなり危惧されます。 運営している人たちもイマイチわかってないから、説明が曖昧になるのでしょう。 現時点では「もっと」いい方法、を、私が市の担当者なら作ります。 8%などという数字にはならないようなものを。

市の役人は海外の事情から今後の日本人の考え方、今後変わりゆくインターネットの状況などを考慮するべきですが、あくまで災害が起きた時に、としか考えていません。 もしかしたら、その情報をもって、高知市民の病気の状況などを知るすべにする可能性すらあるかもしれません。
ないよりある方が、患者さんにとっては良いかもしれません。 ただ、何事も慎重にことを進めるべきだと思っています。 「あなたの病名、誰もが知っていますよ」 では困りますよね?

風邪という決めつけをすること自体がまず問題です。 また風邪症状ほど難しい症状はない、という格言もあります。 2019年感冒症状できた患者さんに確実な2名心筋炎の方がいて、緊急で大病院に搬送しました。 髄膜炎の患者さんも1人いました。

風邪を診ない=風邪の診断をつけられない という 医療レベルです。

風邪(感冒、ウイルス性咽頭炎)は、その10%が細菌性とも言われています。 何人もみて、その後の経過をみることが経験になり、どうすればよくなるか、を医師として勉強するわけです。 喉の所見も視えない医師が名医のはずはありません。

感冒は症状があって、病院に来るのです。 救急をしていて、夜間もくることもあります。 そのときに、「寝てれば治る」という考えで、症状をとることもしないのは、非人道的とも言えます。

医師たるもの、患者さんの立場に立つことが重要だと考えます。

「風邪を診ない医者にはかからないこと」を、医療をするものとして、私の格言とさせていただきます。

 

私は日本でもかなり珍しい医師としての経歴を持っています(月間血圧 2018年9月号のインタヴューでも答えています) 現在医師国家試験に合格すれば、マッチングシステムという、まずは医局に入らずに、自分で研修したい病院を選ぶことになります。 私のころはこのシムテムがない時代で、ほとんどの学生が医局に属する、という選択をしていましたが、優秀な親友がいろんな病院を回って、一番いいところで厳しく勉強したい、と言っているのに感化されました。 結局「京都第一赤十字病院」に入り研修することに。 そのままその病院で消化器内科か循環器内科で就職するつもりが、家の診療所の都合で半年間だけ帰ることになりましたが、なかなか私以外の医師がみつからず、2年以上も福田心臓・消化器内科とハートフル・クリニック(四国で初めての往診専門の診療所、今は福田内科と一緒になっています)で勤務しながら、実は同期や後輩がどんどんと成長するのを電話で聞いて焦っていました。 しかしこの経験が大きかったのです。 最前線で働いているのは実は開業医でもあり、開業医が困るポイントが分かりました。 どんな2代目の医師でも大きな病院を回って、最終的に実家に帰る、という手段をとりますが、私はその逆だったのです。 4年目になり、「医局」に入ろう、と思ったのは、「専門医」が重要視されていた時代でしたが、当時から「どうせ意味のない専門医制度にそのうちなる」と思っていたらまさにその通りでした。 専門医は患者さんを信用(時にはごまかす)させるだけのもの、また維持には点数がいるので、学会運営費になっているだけ、でした。 そこで「医学博士」という称号は決して消えない信用できるもの、だと思い、徳島大学の第二内科に入局をしました(実際は医学博士の中でも、自分で論文を書かなくても大学院に入ればなれることを知って(卑怯なやり方です)愕然としましたが、、、) 高知大学ではなく、徳島大学を選んだ理由は2つあり、当時の第二内科は47都道府県で唯一循環器と消化器が一緒になっている医局だからで、自分にあっている、というのと、今はだいぶ変わりましたが、循環器のジッツ(支配下病院)が、徳島大学と岡山大学が高知市内、市外が高知大学、という構図だったことです。 結局私は高知の大病院で働かずに開業することになりましたが、1年間だけ顔見せする働き方は小狡い感じがして嫌でした。

さて、大学の医局に入り、非常に細かなことが求められるようになりました。 結果はもちろんプロセス重視。 毎週の教授回診(その前の3時間くらいかかるプレゼンテーション)だけでなく、数チームある中でのミィーテングが厳しかったです。 木曜日に教授回診があるので、水曜日(もう木曜日になりますが)26時まで病院に残っていました。 この過程が苦しかったのですが、本当の大学病院での人を治すための仕組みがわかりました。

その後、2年毎に各地のジッツをまわるわけですが、私のオーベン(直属の上司)が務めていた、現:四国こどもとおとなの医療センターに行くことになりました。 4つ候補があったのですが、決め手は「循環器のすべてのスペシャリストがいること」「内科枠で最初はスタートすること」「徳島大学と共同研究をする架け橋の役割に任命されたこと」「臨床研究部があること」でした。 その選択は間違っていませんでした。 開業医の気持ちがわかる医師として大学病院、最終拠点病院で働いていると、開業医の先生の気持ちも分かるし、自分が開業したときにどんなことが出来るか、を逆算して研修しました。 2年間ではなく、循環器内科に昇格し、心臓リハビリテーションセンター長にもなり、臨床研究を、病院、大学病院、自分で組み立てた研究のすべてが、日本循環器学会の口述(当時はかなり厳しく、3割弱(口述だともっと低いと思います)通る)のが、3つとも採択され、忙しかったです。 私が指導、心エコーを撮ったものを、技師さんに指導して、心エコー図学会では、優秀賞もとりました。
結局、私自身も勉強になる、ということや、病院にとって「あらゆる面で使いやすい言うことを聞く」医師だったので、5年間働くことになりました。 大学病院から数えて7年弱は、バスタブに浸かったことはありません。 シャワーでPHS、携帯が聞こえるように半開きにしていました。 50歳で何の目標も持たず、医療をしているだけの医師よりも、30代でしたが、医療技術も優れていた面もあったと思います。

医師は、記憶力、つまり学歴社会でなることができます。 しかし、その後も同じような勉強法では全く意味はありません。 私は「判断力」を鍛えることを、今も重要視しています。 そのために生涯勉強が必要なのです。