私が診察中に気を使っていることに、患者さんを待たせないこと、があります。 患者さんの健康寿命を延ばす、と言う医者はいても、「有効寿命」を延ばすと言った(書いた)のは、私がおそらく初めてじゃないでしょうか? 聞いたこともない言葉です。 今、私が作りました。 患者さんを待たせて当然→人の時間を無駄にしている、と考えないと、「健康のために歩いてね」と言っても、「待たされた時間で何千歩もあるけるな」と考える人がいてもおかしくないな、と思います。。 なので物理的に無理な待ち時間は仕方ないとしても、色々と工夫をして、待ち時間を減らすようにしてきましたし、いまもしています。 おそらくスタッフの考えで、開院当初と比較しても、待ち時間は随分減ったと思います。
そのためには、私自身も、「その方法いいですね」や、「こうしてみたら」という意見に対して「わかった、一回してみよう」と柔軟に対応しないと、せっかく出してくれたアイデアも無駄になります。
さて、スタッフにも私にも有効寿命があるのは、ご存知でしょうか? 患者さんにとっては別段関係ないことだと思いますが、病院や診療所内では大事なことだと私は思います。 とある大病院で、手術を昼過ぎからして、20時までかかるのが当然となっていたのを、ある若手の医師が、「手術を午前中からしましょう」というイノベーションを起こし、その手術に関わるスタッフの有効寿命は格段に伸びたという話を聞きました。 偉いのは、聞き入れ、実行した手術する年上の医師だとも言えます。「バカと付き合うな」というベストセラーの本があります。 どの職場にも必ずイノベーションを嫌がる人がいるそうです。 古い考え方が悪いと言いたいわけではありません。 私もどちらかと言うと、親しき中にも礼儀あり、と思うし、古い考え方の人間だと思います。 ただそれでは、イノベーションは起こせません。 インターネットの時代になってから25年くらい経つのではないでしょうか? 研究会もわざわざ講師に来てもらうのではなく、ネットで配信される時代になりました。 院内の決まりごとを決めるのに、有効寿命を短くして(させて)、効率の悪いことはしない方がいい、と私は思いますが、「じゃあ、それでやってみようか」と一歩進む組織にならないと、時代に置いてきぼりにされてしまうでしょう。

しかし、人生無駄なことに従わなければならない理不尽があることも知っています、もういい年ですから。 でも私はそういうときは「俺ってアホだなぁ」と思いながら、人生の貴重な時間を食い潰される感覚で生きています。 なので自分が感じた嫌な思いは他人にはさせたくないのが人情です。 誰が正しいかなどは、ありません。 私が間違っているかもしれません。 しかし、「してみないとわからない」ことばかりの世の中に変わってきている、と強く感じる日々を送っています。 、、、こんな簡単なことに、、、この時間に論文一つ読めたな、、、 と思いながら、その時間を今後も過ごす日々も社会人ならみんなあるのでしょうね。

私が医学生になった時に、父親は今の私より5歳くらい年上でしたが、福田心臓・消化器内科を開業しました。 当時の忘年会の写真をみると職員10人に満たないat homeな感じで忘年会が行われていました。

医療法人となり、また、グループとして、社会福祉法人なども手がけるようになり、忘年会は、日本で初めて心臓内科という言葉を作った父親らしく、希望からとった「望年会」となって、結構盛大に行われます。

こういった大きな忘年会は、良い面も悪い面もあるかと思いますが、グループ内で他の職場の人と顔をあわすのにはもってこいの、会だと思います。 飲みニケーションとしては、悪くない、と思います。 3時間くらいあるので、どこかの時間で、仕事の話をしてもいいし、雑談をしてもいいし、と思います。

私自身は友人との忘年会を控えながら、執筆業に追われる毎日です。 これは相当な根気のいることで、論文の執筆も大変ですが、それ以上に、他業種との絡みもあるので、皆さんが思っているより大変な作業を、1つの本を作るのに労力がかかっています。 かなり過酷です。 以前2冊書いた時は、それこそ、ほぼメールでのやりとり、時にはfacetimeといった顔を合わせながら話しをする、ということを高知、東京間でしていました。 契約と、出版記念、留学から帰ってきた時の2冊目が出版された時に出版社のCEOや編集者とお会いしただけです。 出版社のCEOなどは忙しくて時間がないので、会える時間は、その方が出席するパーティーに一緒に連れて行ってもらった、あとの2次会などで話しをしていました。 私自身は、そういった、非常に大事な事でも、メールで契約までもっていけたので、どうしても契約時は会わないといけない、ただしお互い時間がない、ということで、すり合わせに非常に難渋した経験もあります。 私はちなみに日帰りで、昼間の東京駅「丸ビル」のカフェで1時間で終わり、最終便で高知に帰りました。

今は忘年会は顔をあわす貴重な時間だと思います。 それ以外だと、違う機会をもたないといけない場合もあるかと思います。

私自身は、気の合う友人や仕事付き合いで飲むのは良いことだと思いますし、そこでまとまる話があっても良いと思います。 ただ、酒の力をかりて、酔った勢いや、接待みたいな感じで商談をすすめて、仲が良くなるわけがない、と、思っています。 また、米国では毎日、個人面談があり、いわゆる、ボスとの1対1のミーティングなのですが、ほぼchat(雑談)で物事が進んでいました。 しかし週一回の本格的なmeetingでは他のlaboも参加することがあり、絶対に発表しなければならないため、英語が苦痛でしたが、あれがないと留学した意味はなかったな、とも思います。 さてボスの自宅に招かれたりしますが、そこで仕事の話はしませんしされません。 プライベートですので。 ただ、楽しくできているか、人間関係はどうなのか、などの話はでます。 心臓リハビリでは、週に一回多職種でのミーティングが推奨されていますが、私は推奨しません(笑) 大きな病院で、時間があればすれば良いだけで、診療所レベルではそれこそ雑談ですむことを仰々しくするのは、参加する人の疲労がたまる一方で、聞くだけでも無駄な時間も発生している場合や、用意するのにも時間がかかります。 私は今の診療所で勉強会をするときは、10分程度で、昼休みにランチを食べながら(実際には皆んな真剣に聞いて、その後食事を、となってしまってますが、できれば食べながら聞いてもらいたい)、月一回のミーティングも、出来るだけ短く、そして必ず昼休みの最初にすまします。
月刊「血圧」のインタヴューを受けた昨年は、人の倍働けば、人の倍の経験が積めると思った、と言いました。 要は、働き方は、個人個人で決めるべきだと思います。 自分が遅くまで残って勉強したいと思えばすれば良いし、上司が残っているから残る、や、時間外の勉強会などは参加したい人だけが参加するべきで、留学時でも、優秀な研究者や医師ほど早く帰る傾向がありました。 家で勉強する人もいるでしょう。 ミーティングにミーティング、疲れませんか? それよりも、メールでできることはパッとして、どうしても顔をあわせるなら、skypeを使えば良いのです。 もちろん実際に会わないとその人の人格などがわからないこともあるでしょうし伝わりづらいこともあることには同意します。 しかしできるだけ、私は職員を束縛したくない、と思います。 例えそれが10分でも。 人生は有限なので、寿命を縮められたくないでしょう? そんな思いです。 自己満足のミーティングにならないように、来年度もしていこうと思っていますし、普段から雑談でこうしよう、こうすればよかった、と話していれば、ミーティングの時間は格段に短くなります。 普段が大事なのです。 さらに人間関係は距離感が大事です。 なんでもミーティングが良いわけではないことを、善通寺病院で知りました。 意味のない集まりがあり、医長がでても仕方がない、それこそ、メールで全員に一斉配信して、大事な部分に赤を引く、などの方が効率的です。 めちゃくちゃ忙しい時に、1時間近いミーティングに出させられ、ピッチもピリピリとなり、ストレス溜まりまくりでした。 人に時間を盗られたくない、と皆んなが思っているのではないでしょうか? 

ドイツ語では指標という意味で、日本語でもある一定以上の医者は、普通につかいます(英語ではランドマークとなります) 母校の獨協医科大学では、「最初に研修するには循環器内科がいい。 その理由は心不全という疾患にメルクマールが多いからだ」と習いました。 体重、症状、血液検査所見、心エコー所見などなど、研修医は悪くなった患者さんをうけもち、よくなったから退院、ということをするのですが、これは外来にも通じるところがあるのでまずは入院患者さんを担当するのがいい、と私も思います。

さて、入院時にメルクマールは決定し、その後患者さんの状態にあわせ、メルクマールは変更する場合もあります。

これは基本中の基本で、私は医師になった京都日赤で教わったので、医学生の頃から知っていればと思い、著書に書いたものでした。

医師だけではありませんよね。 この考え方は心臓リハビリにも通じたり、看護師の申し送りにもどこどこが悪い、よくなっている、など考え方が通ずるものだと思います。

しかしなによりも大事なのは、相談、連絡、報告の順番を間違えないことです(ほうれんそう、の順番は間違いで、自身の上司にまずは相談してから、何をするかを提案するべき、と私は考えます。 そうしないと非合理的にどうしてもなります。 自分の考え方・感情だけで物事を決めず、上司に相談してから、が時間のロスが少ない、いい組織だったと思います。 米国では、(先に)こうしました、などはとても言えませんでしたし、自分自身もまずは自分の直接の上司に相談してから、物事を進めたほうが確実に合理的です)

これは日本ではよく順番を間違える方が多いので、おかしなことに多々なるな、と思っていながら我慢して仕事をしています。 そして患者さんを治すんだ、という気構えがないと医療従事者としては苦しいだけで、単なる仕事、と割り切ってるな、と思う人も多々います。 あとは、米国では差別、日本では、言いたくない言葉ですが、陰湿ないじめ、があることもここで述べておきます。 米国でもイジメはあるのでしょうが、社会人になると極端にすくなくなって、差別が多くなる、という印象でした。 ここでいう差別は人種差別だけではありません。 貧富の差など、様々でした。
何かいいのか何がわるいのか、難しいことですが、私は、患者さんが一番良い方法で良くなること、を目指したいと思っています。

という記事が、プレジデント、という雑誌(当院には必ず最新号を置いています、私自身が読みたいと思う本を置くようにしています)に掲載されていました。

いい病院だ、と思っても、紹介をするときに、誰でも構わない、という紹介状だと、人気のある腕のいい良い医者に当たらず、人気のない暇な医者が担当になる、という記事です。 これは、的を得ていると思います。 おそらく医療関係者のなかでも医師の本音を取材して書いた記事だと思われます。

緊急の場合以外では、信用できる医師への紹介を当院では心がけています。

腕のいい医師、とは、治療や検査を「情熱」をもって、確かな知識を駆使して診療する医師だと、私は思っています。 医師は「情熱」が非常に大事です。