ドイツ語では指標という意味で、日本語でもある一定以上の医者は、普通につかいます(英語ではランドマークとなります) 母校の獨協医科大学では、「最初に研修するには循環器内科がいい。 その理由は心不全という疾患にメルクマールが多いからだ」と習いました。 体重、症状、血液検査所見、心エコー所見などなど、研修医は悪くなった患者さんをうけもち、よくなったから退院、ということをするのですが、これは外来にも通じるところがあるのでまずは入院患者さんを担当するのがいい、と私も思います。

さて、入院時にメルクマールは決定し、その後患者さんの状態にあわせ、メルクマールは変更する場合もあります。

これは基本中の基本で、私は医師になった京都日赤で教わったので、医学生の頃から知っていればと思い、著書に書いたものでした。

医師だけではありませんよね。 この考え方は心臓リハビリにも通じたり、看護師の申し送りにもどこどこが悪い、よくなっている、など考え方が通ずるものだと思います。

しかしなによりも大事なのは、相談、連絡、報告の順番を間違えないことです(ほうれんそう、の順番は間違いで、自身の上司にまずは相談してから、何をするかを提案するべき、と私は考えます。 そうしないと非合理的にどうしてもなります。 自分の考え方・感情だけで物事を決めず、上司に相談してから、が時間のロスが少ない、いい組織だったと思います。 米国では、(先に)こうしました、などはとても言えませんでしたし、自分自身もまずは自分の直接の上司に相談してから、物事を進めたほうが確実に合理的です)

これは日本ではよく順番を間違える方が多いので、おかしなことに多々なるな、と思っていながら我慢して仕事をしています。 そして患者さんを治すんだ、という気構えがないと医療従事者としては苦しいだけで、単なる仕事、と割り切ってるな、と思う人も多々います。 あとは、米国では差別、日本では、言いたくない言葉ですが、陰湿ないじめ、があることもここで述べておきます。 米国でもイジメはあるのでしょうが、社会人になると極端にすくなくなって、差別が多くなる、という印象でした。 ここでいう差別は人種差別だけではありません。 貧富の差など、様々でした。
何かいいのか何がわるいのか、難しいことですが、私は、患者さんが一番良い方法で良くなること、を目指したいと思っています。

という記事が、プレジデント、という雑誌(当院には必ず最新号を置いています、私自身が読みたいと思う本を置くようにしています)に掲載されていました。

いい病院だ、と思っても、紹介をするときに、誰でも構わない、という紹介状だと、人気のある腕のいい良い医者に当たらず、人気のない暇な医者が担当になる、という記事です。 これは、的を得ていると思います。 おそらく医療関係者のなかでも医師の本音を取材して書いた記事だと思われます。

緊急の場合以外では、信用できる医師への紹介を当院では心がけています。

腕のいい医師、とは、治療や検査を「情熱」をもって、確かな知識を駆使して診療する医師だと、私は思っています。 医師は「情熱」が非常に大事です。

そういう疾患に「ならない」わけではありません。 確率を下げる、ということをしているのです。
そこで頸動脈エコーは非常に大事です。 頸動脈エコーで、動脈硬化がひどければ、血管は全身つながっているので。心臓を栄養する冠動脈や、脳の血管にも動脈硬化はある、と考えていただいた方がいいでしょう。

つまり、血圧、悪玉コレステロール(LDL)の管理がよくても、頸動脈エコーで動脈硬化所見があれば、治療(食生活だけの場合も含めて)の介入が必要なことが多いと、根拠をもって私は考えます。
血圧、高脂血症を治療していて、中性脂肪が少々高くてもいいでしょう、は少し前の考え方です(私も心臓カテーテル治療をしているときはLDLにのみ固執していましたが、時代は変わって来ました) 要は、高脂血症=(LDL)だけを下げればいい、という考え方は以前は問題なかったのですが、患者さんの年齢、他の疾患のリスクを考えてえると、栄養指導や中性脂肪(、時には尿酸をも)を下げるといった、「脂質異常症」という考え方を持たないといけないと、されています。

例えば、いくらLDLを下げても、中性脂肪(TG) が高ければ、LDLよりもタチの悪い、VLDL(悪玉コレステロール(LDL )よりも小さくて、血管内に入り込み動脈硬化を起こす)が増えるというエビデンス(医学的根拠)があるのです。
私は、薬屋ではなく医師ですので、できるだけ脳梗塞や心筋梗塞になってほしくない、という思いで事実を述べているので、ご納得いただけないのなら、それはその人の考え方なので、いいと思っています。 が、ただ、危ない所見、検査結果があるのに、それを伝えないのは、医師の罪だと思っています。 あくまで治療を決めるのは患者さんですが、情報を聞かないと決めれませんよね?

ひとつ、大前提として例をあげると、

内科:診断する

外科:治療する

とします。 大きな間違いもあるかもしれませんが、そう仮定した場合、

前者は、内科の仕事、後者は外科の仕事なのです。

この仮定だけでいくと、後者は診断がきまっているので、する治療も決まっている、ということになりますが、

トラブルシューティングはありえるので、経験値がものをいうわけです。

その経験は、もちろん、診断の経験値です。

つまり、責任をもたず見学だけで開業することの恐ろしさ、です。

私が、経験せずに心リハを開業することは絶対にないでしょう。 それは、心リハは奥が深いから、です。

心リハが好き、興味がある、ハマった(患者さんがよくなった瞬間)を「診断」してないと、

もし開業して心リハをしても、「これで良いのかな?」と心配性な私は思うことでしょう。

「心配性な人ほど生き残る」という格言がありますが、心配性な医師のもとで心リハをした方がいい、となりませんか?

学会の、流行らせたい、企業をからめてほしい(心リハには薬がからまないので、スポンサーが学会にはないので

無床診療所でしてほしい、のです)という、魂胆が見え隠れするというか、そういっているとしか私には聞こえません。

それに乗るか、自分で考えて乗らずに研鑽するか、非常に大事なことです。

社会人としては当然なことですが、医療の世界でも当然のことです。 2018年、頸動脈エコー(首の血管をエコーでみる検査)をした患者さんが、その画像で、どれだけ動脈硬化がすすんでいるかをみることによって、その方の予後がよくなる、という報告もでてきました。

うわべだけの血圧、血糖、コレステロールの値だけで処方をされたり、胃の検査はバリウムで十分と言われたり(胃カメラの方が優れていることを知らされずに)、経験なしで突如はじめた心臓リハビリが専門などと流布することは、「ごまかし」の医療ではないでしょうか?

お笑い芸人の西野さんがかいた本を興味があり、数冊みてみました。 絵本を描いたりして、一時期、インターネット上で謂わゆる炎上された方ですが、いまや、インターネット上の「オンラインサロン」という会員向けサイトでは日本で、ホリエモンを抜いて1位の会員数になっています。 これは彼が「うそ」をつかなかったこと、信念を貫いたこと、だと著書で書いています。 例えば、「食レポ」は美味しくなくても「美味しい」と言わなくてはいけないので、全て断ったこと。 また、自身の漫才のネタを書く時間が必要だったので、必要最小限の飲み会以外は参加しなかったので、内輪ネタで盛り上がる「ひな壇」には絶対に座らなかったこと(そこでは自分が置き去りにされるので)という信念で、仕事量は1/10に減ったと、絵本を描き続けたことによって、自分の才能が芽生えたとのことです。
今やバッシングする人も少なくなり、所属している吉本興業の社長からメインのインターネットサービスを頼まれる存在になっているそうです。
私自身、相談しやすい医師像には、「ごまかし」があってはいけない、という信念があります。