Point of care ultrasoundの略であるPOCUSは、「的を絞った、短時間のエコー検査」のことです。 私の尊敬する他県の大学の医師は毎回、心臓のエコーをPOCUSで、隣の部屋で技師さんがとり、その後普通の診察をされているようです。 そこにお金は発生しません。 いろんな考え方があって、それで診断がつくようなら、医療費が発生しても良いと私は考えていますが、私が「POCUS」をするときは基本的にお金はいただいていません。 ただ、最近、息苦しい、とこられた患者様に、POCUSで心エコーをしたところ、心臓内に血の塊で出来ており、心臓を栄養する血管が詰まりかけの所見がありましたので、すぐに大きな病院に直接医師と電話し、救急車で行っていただきました。 こういった場合は医療費が発生しても良いのではないか、と思われます。 もしエコーをせず(できないクリニックもありますので)、レントゲン、心電図だけなら、と思うと「ぞっ」とします。 紹介はするのでしょうが、緊急性がわからず、血栓が飛んで行ってしまう確率が何十倍も上がるだろうからです。

さらに、「胸痛」できた患者様に、ポケットエコー(Vscanという機種は私が福田内科で高知県では初めて導入しました)で、聴診器を当てた後、POCUSをすると、非常に心臓の動きが悪い。 聴診器の技術は素晴らしいのですが、やはり限界があります(聴診器の技術を鍛えて修練して、そのことを知ることが大事だと、日本でも3本の指に入る先生にマンツーマンで習い、たどり着いた境地です) 動きが悪いときの心音は座ったままではなかなか雑踏とした外来では聴けないのでは、と思う状況もあります。 その方はそのまま、通常の心エコーをさせていただき、投薬し症状の消失と同時に紹介をさせていただき、「ステント」治療を終えて元気にされています。

一時期(今も?)流行った、quick look echoを日本語に無理やり変えた「ちょい当てエコー」は、やはり言葉が悪いような気がします。 緊急時のトリアージ(軽症か重症かを判断すること)に使われるべきで、もちろん、今もPOCUSとは違う意味で、私は必要だと思います。 もう少し、気の利いた言葉にしないと、患者さんが「えっ、ちゃんと診てくれよ」と思うでしょう。 「ちょい当てエコー」も「聴診所見」も重要ですが、最終的には患者さんの診断を責任をもってすることが大事であると思います。

 

皆様疲れのせいか、最近「帯状疱疹」を診ることが多くなりました。 ヘルペスの一種で、疲れ、ストレスで発疹と痛みで出現します。
ここで最も大事なのは、「癌」によって免疫力が下がり、帯状疱疹がでてくる、ということを忘れて治療されていませんか?
癌、のサインかもしれません。 お年を取ってからの帯状疱疹は治療を早くすることも大事ですが、何より、がん検査、とくに腹部、胃などを診ることが重要です。
昨年、検診で腎臓は大丈夫、と言われた方が、帯状疱疹でこられ、「癌があるかも」という目でエコーを診ると、超初期の癌が見つかり、その方は寿命が恐らく5〜10年は長くなったと思います。

治療はもちろん重要で、予防などもされる方もおられるかもしれませんが、帯状疱疹と癌 の 関係を無視された治療は危険です。

講演会などでこの言葉を聞いて、最も納得したのが「地域包括医療とかいて、よく分からない、と読む」という演者の言葉でした。 これは的を得ていると思います。 この講演者はもちろん、自分のなかでの分かり易く考えを示した訳ですが、、、
私が考える、「地域包括医療」とは、、、昔流行った、「シム・シティ」つまり、医療を中心に考えた街づくり、のゲームのようなもの、だと思っています。 つまり行政の担当の方がある程度、「ここには大きな病院がいるな」などを決め、我々個人レベルでは、その地域の、例えば高齢化に適した施設を作る、行政はその方針が行政の方針とあっていれば補助金がでる、などということだと思っています。

社会福祉法人の秦ダイヤライフの理事でもある私の考えることは、「あざみの里」「絆の広場」という2つの大きな特別養護老人ホームを始め、たくさんのデイサービス、デイケアーなどの介護施設の健全な運営、高知はもちろん、四国、日本でも利用者だけでなく、働く方のことを考えた運営をしていかなくてはいけません。 「あざみの里」では、「やわらか食」のレシピを日本で初めて「本」として出版し、2017年、「絆の広場」は介護士の研修認定施設に選ばれました。 実はこれはかなりの快挙なのです。
従来の病院のような部屋から、理事長である私の父親の想いで、「ユニットケア」を高知で初めて取りいれ、拘り続けていることも評価されていると思います。
私自身も「一宮きずなクリニック」に通院が認知症などで難しくなった場合は、ご家族と相談のうえ、施設の利用などを考えて行くことを話し合うこともあります。 ただ単に治療をするだけ、の時代から、患者様のこと、さらには周囲の方のことを考えた治療をすることが、「地域包括医療」だと思います。

患者様で、糖尿病を患っている方も多くいると思います。 HbA1cという値がいい、というだけの治療は「古い」治療です。 投薬されている薬も当然「古い」。 ここで危ないのは、低血糖になる危険性をもった薬を飲まれている方です。 例えば、80台の方で、確かにHbA1cは6.2%と非常に良いのですが、アマリールという薬が、6.5%の時にアマリールが2ヶ月分で処方され、増量されていいるとしましょう。 医師であれば、「古い!」と思っていただけると同時に、「えっ、危ないのでは?」と思うような処方ですが、昔はこのような治療がされていました。 私も研修医時代に「アマリールは良い薬だ」と教え込まれていました。 しかし、患者様は糖尿病の時代の流れを知りません。 近年は、HbA1cの低下だけではなく、低血糖は絶対に起こさせず、HbA1cの下がり方の質を重要視するようになっています。 これが「通常」の治療です。 さらに、糖尿の合併症にも気をつかい、臓器不全を防ぐような治療(とくに心臓、腎臓、肝臓です)をし、「インスリン導入」ができるのが、通常治療よりも優れた治療だとされています。
患者様で、ダオニールが出されたら、もしくは出されていたら、「古すぎる」治療で、「アマリールの増量」は良くない、と現時点では言えると思います(今後変わってくるかもしれません、年齢などにもよると思いますので一概には言えませんが、違う薬剤があるはずです)

当院では、妊娠糖尿病や、インスリン治療のインスリンに抗体を持ってしまったりしたかたには、治療を高次の専門機関にお願いすることが患者様のためと思っていますが、インスリン治療が必要になった時点で、「当院ではみれません」というクリニックは、もともと糖尿病について、詳しくない、という証拠です。 これはこれで、良いと思います。 専門性を高めると、苦手分野を無理に引っ張るのが良くない、と私も思うからです。
ただ、私のクリニックでは、糖尿病の治療に関しては力をいれています。 薬を使わずに、治ってしまった、という方もたくさんおられます。 また薬を中断できる方もいます。 この薬はダメだ、といろんな論文をみて、理屈をもって言えるようにしています。 特に最新の「尿に糖をだす薬」に関しては、私の発表で、良い処方の仕方、というのがあります。 現在、発表段階なので、論文にしていこうと思っています(論文にするということは、第三者のエキスパートの先生にチェックしていだき、認めてもらう世界初の治療法で安全性も高い、と証明されることを意味します)

一時期(今も一部では)、「投薬」は、患者さんに薬を投げる、「投棄」のようなイメージで、失礼にあたる、と言う先生もいました。 そこで「与薬」と言う言葉がいい、となった時期があります。
しかし、私は「投薬」は悪い言葉ではないと思います。 「投票」のように、「投(な)げる」イメージではなく、「投(とう)ずる」と考えれば、患者さんの病気に対して、立ち向かう積極的な治療姿勢だと思います。

「投ずる」とき、医者がピッチャーだとしたら、病気がバッターだとすると、そのバッターの弱点をしっておかないといけません。 医師の「知識量」が投球スピードで、「経験」がコントロールだと思います(分かりにくい表現ですね、すみません) 「医師自身の解析結果」や、「患者さんの背景を知ること」は良い変化球を投げることができることにつながると思います。

患者さんの置かれている生活状況もしらず(聞かず)、経験もしたことがない、となれば、本や研究会への出席だけの「知識量」だけとなります。 いくら球が速くてもノーコン・ピッチャーでは、病気を三振にはうちとれません。 押し出し四球で、じわじわと患者さんの病気が悪くなってしまうと懸念します。
例えば、糖尿病の治療薬を「投薬」するとき、薬の知識は当然もっていて、経験も豊富で、自身がその薬の解析を行っていて、さらに、どういった食事携帯なのか、などをしっていると、朝昼夕の3回の薬は難しい、とわかり、教科書通りの直球だけでなく、朝夕、もしくは夕だけ、朝だけ、などの変化球も使えるわけです。 心臓リハビリテーションを「経験」し、「自身の解析」をしていると、運動処方を、「無理のない程度に」とだけではなく、大きな機械をつかわなくても、具体的に「脈拍110回の運動を、20分」と言えるようになります。