一宮きずなクリニックは医療法人大和会の、簡単に言うとグループで、大元は福田心臓消化器内科ということになりますが、同等と考えることも出来ます。 決して下請けのクリニックではない、ということです。 出張所ということでもありません。

理事長が父親である福田善晴で、一宮きずなクリニックの院長は私、福田大和であり、福田心臓消化器内科の院長は藤島先生ということです。
さて、企業にも理念がありますが、大和会にも理念があります。ここで解説つきで紹介したいと思います。

理念「生命の尊厳と人間愛」 です。 理事長は常々、職員も患者さんも全て家族である、と言い続けています。 高知県が高知家と言う15年以上前からですね(もっと前からかもしれません)

基本方針は

1.私たちは、利用者さまの権利を尊重し、誇りと責任を持って「利用される方がたのために」を心がけます。

つまり、患者ファースト、ということになります

2.私たちは、急性期医療から在宅介護まで一貫して、常に温かく、安全で質の高いサービスをめざします。

ここでいうサービスは、サービス業のサービスではなく、与えるもの(受け取れるもの)、を示します。

急性期をみることができ、在宅や介護でも高水準の治療や介護を「優しさ」を感じながら受け取ることができる、ということになります。

3.私たちは、保健・医療・福祉水準の向上のため、専門知識の修得や技術も研鑽につとめます。

専門職はより専門生を高める努力をし、専門以外のことでも詳しくなくてはいけません。

実際のところ、専門だけをする、のは医療の一つのことだけ、ということになり、かなり狭い範囲となります。

大病院では驚くべきことに、インスリンの使い方を知らずに、カテーテル治療のみをする、ことが許されますし、

そういう医師がいても構いませんが、地域に根ざした治療をするのに、カテーテル治療だけができても駄目ですよね。

以上、医師を含む医療関係者は、大和会においては、生涯努力が必要です。

コロナウイルスの第二波は確実ですが、免疫学会の会長は先日「第二波ではない」という「とんでも発言」をしていました。

私自身は東京だけで、緊急事態宣言解除後で、100人台にはなるだろう、それが東京だけで続くのなら第二波ではない、と思っていましたが、今や東京以外でも過去最高の感染者数を記録し、東京で200人を超えた時から第二波だと判断しています。

当院では職員に「飲み会はいかないで」というお願いをして、実際に全員行っていません。 今県外に行ったり、飲み会をすることは、医療従事者としては、周囲の目もあることから避けた方がいい、という判断です。

高知県では知事の決断があいまいで、問題ない、というニュアンスの発言もありました(私見) 私は問題あり、だと思いますし、ひろめ市場は盛況です(経済を考えると良いことですが) 前知事とちがって、発言もニュースや新聞で取り上げられないので、発言が少ないのか、言っていても、相手にされていないのか、、、

県民としては、こういう時こそ「リーダーシップ」を発揮してほしいものです。 高知県という船にのり、艦長をしている人の発言は重いことですので。 沈黙は金なり、はコロナに関しては、沈黙は悪、だと思っています。

上記の名前から放火事件を思う人が日本中にいると思います。 私自身、上記会社が製作した、「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズのファンで、映画館にも行ったことがあります。 なので、というのはおかしいかもしれませんが、より犯人に強く怒りを覚えます。 もちろん全ての放火が悪い行為だし、卑劣極まりない、と思っています。 その思いがより強くなりました。

ウィキペディアで放火事件後に初めてどんな会社かを見たのですが、創業者の方は手塚治虫さんのアシスタントをしていたそうです。 こういうことも知らずにアニメだけを楽しんでいたんだな、と思うと同時に、全ての人に歴史あり、と思い知らされました。

「ハルヒ」シリーズでは、主人公を含めた3人のメインの女性キャラクターが出てきます。 教科書のようですが、ツンデレ、萌え系、クールビューティーですが、それだけではなく、それぞれのキャラクターに特殊な能力がある、というものです。

私は「自分というものを残したい」と思ったこともきっかけだったのですが、全く新しい心機能の考え方、を「恋する心エコー」で、ツンデレと萌え系の女性2名を登場させて、書いていましたが、途中から、医学出版社の社長(恩人です)から、「女性二人で男性(主人公)を取り合うのは良くないので、一人女性を加えたほうがいい、というアドバイスで途中から突然(笑)クールビューティー(というか小悪魔系)を出すことになりました。

今現在、書いている本でも、女性はラノベのキャラっぽく、属性を持たせています。

京都アニメーションを教科書にして、、、

 

私個人で言えば、仕事中に神経調節性失神(NMS)疑い(で頭から倒れ、心肺停止。原因は分かっています、精神的なストレスと過労ですが、ストレスの原因も人たちも分かっています。なので今後その人たちとは話をしない、会わない、会っても必要最低限にする、ということで自分を守るようにしていますし、過労に関しても忙しすぎるな、と感じたら必要・優先事項だけをその日にしています)になって救急車を呼ばれ(断片的にしか覚えていませんが、父親が心臓マッサージをしていたり、心電図でフラット(心臓の電気信号がない、つまり動いてない))、気づいたらMRIも終わり、病室のベッドに横になっていました。その日から1週間はさすがに休みをとりました。NMSであれば原因を避け、水分を十分とることで予防できます。

それ以外で医師になってからは夏休暇や正月休暇以外は休んだことがありません。いわゆる有給休暇というのを医師はとらない、ということです。開業してからは祝日や日曜日は病院にいって回診をしたり、入院患者さんがいないので夜間などの呼び出しが初めて無くなりました。しかし院長になったわけですから勉強する時間を探したり、論文を書いたり、執筆をしたり、また当然ですが病院関係の仕事は格段に増えました。責任が10倍になった、という感じです。

勤務医時代は、学会や心臓カテーテルライブに行くときは病院を留守にすることも出来ましたが、学会中も携帯はなりっぱなしだったこともあります。 完全に病院のことを考えないで出張することは出来ませんでした。 またそういった出張をすることで当直の日程が厳しくなります。さらに夏季休暇は結婚して婚前旅行に行ったとき以外は特にすることもないので半分しかとっていませんでした。それよりも技術の習得の方が大事、だと考えていました。

今は開業し、昨年10月から水曜日午後も往診に行っているので、月曜日から土曜日の昼まで休みがなく、相当疲れていたと思います。 4月(本格的には5月)から、近森病院の吉村先生に助けてもらって、だいぶ日程的に楽になりました。

一般的に有給をとる、という感覚がないのが医師という職業だと思います。 ストライキなどもってのほかです。 するなら医師をやめた方がいい。 向いてない、ということです。 他の職業をするべきでしょう。

私自身、打たれ弱いところもある、と自覚していますが、最近の若い医師のなかには医師という職業を、技術職、と捉える人がいるのではないか、と思います。 仕事を投げ出す人が多いな、と思うからです。 これは若い医師に限らず、最近の医師の傾向だと思います。 私には信じられないことですが、時代が変わり、「この人は医師に向いてないな」という人があぶり出されているように思います。 自戒の念を込めて。

医療法人大和会で医療や、四国初の往診専門クリニックまでし、それでも患者さんのニーズに沿うために秦ダイヤライフが作られ、介護を充実させるようになった父親の福田善晴。 毎月、秦ダイヤライフの「すこやか通信」を書き続けているが、息子の私からみても、父親と母親は少々働きすぎである。 実家で過ごしているときに、お前書いてみるか?と、締め切りの2日前に話があり、2019年11月号は私が担当した。 以後、奇数月は基本私が担当するようになった(1度原稿が被り、大和会通信、に私のコラムが載っている) 11月号では私の働く意味、今年の5月号では原稿を書いたのが4月初旬であったため新型コロナウイルスが一旦治った時代を予想して書いた。7月号は自身の組織のあり方、を書いた。 これも仕事である。 ついでにいうとこのコラムを書くのも仕事だと思っている。 更に言えば、学会で発表したり、論文を書いたり、医学書を執筆するのも仕事だと思っている。 一宮きずなクリニックでは開業してからこれも奇数月の最終日曜日の高知新聞の「優しい社会」に寄稿している、これもれっきとした仕事である。 今は一般の人向けの医学書ではない本を書いているが、これも趣味ではなく仕事だと思っている。 父親の言葉を借りれば「それでお金を貰っているのだから」にあたる(実際は全額donation(寄付)しているのだが)

コラムの媒体によって書き方を変えている、当然ではあるが。 当初このきずな院長室から、は毎日の診療をしたり、研究をしたり、論文を読んだことで、気づいたことを書いていたのだが(コラムとはそういうものだと思っていたし、今もそう思っている)、一時期感染症のことは控えるようにした(かなり調べて書いたコラムも消した) 友人からは不本意で無念だろう、と言われたが、私の考えとは違う人もいると気づき、また様々な事情が絡み合ったからである。 その後はできるだけ、一般的なことを書くようにしたが、「面白くないな」と思い、素の自分の考えを書くように戻した(配慮はしながらである)

すこやか通信は、父親の理念を想像して書くことを考えていたが、それも父親が書く以上のものは書けないだろうと思い、「面白くない」だろうと感じたので、またここのブログとは違う、グループ全体のことを考えながらより慎重に言葉を選んでいるし、文体には私らしさを必ず残している笑

叙述トリックを入れるようにしている。 かなり簡単なものにしているが、トリックが入っていることに気づかない人もいるだろう。 9月号のたたき上げを書いてみたが(たたき上げ程度の1000文字の文章起こしなら10分程度で書ける)、どうも凝りすぎのようだと気づく。 多くの人が読む可能性や、グループのクオリティを下げるような文章になってはいけないな、と思っている。 ただ、根本的に「読んで面白い。こういう考え方もあるのか」と思ってもらえる2つん注意して書いている。

「仕事やな」と思っていただけただろうか? そう思っていただければ幸いである。

P,S すこやか通信 は yahooなどの検索エンジンで すこやか通信 秦ダイヤライフ で検索すると見えます。 まだ7月号はUPされていないようだが。