秘伝中の秘伝が誰にもあると思います。 ない人は、、、 たまに行く学会や研究会でお茶を濁しているだけ(論文を書く前の医師になって4年目までの私がそうでした。5年目から真剣にこのことを考えるようになりました)だと思います。

私や私の周囲の人は情報発信型の医師が多く、より優秀だと思えば後輩でも教えを頭を下げて私はこいます。 そうやって身につけていって、自分なりの最も早く情報をキャッチする方法を確立しています。 現在version 5くらいでしょうか? こればかりは論文を書くものとしてはおいそれと公開することは出来ません(あしからず)

患者さんで自分のやご家族の病気を知りたい、と思えば、手っ取り早いのは、学会に出席すればいいでしょう。 実際に大阪や東京では、患者さんが学会にきて、医師の発表を聴講しています。 なので、患者さんの目が肥えるため、医師のレベルも上がる、という論調がありますが、一理あるどころか百理あると思います。

学会がいつあるか分からない、という方は、気軽に私に申し出てください。 インターネットさえあれば、「こうった学会がある」ということを言わせていただきます。 医療関係者だけの研究会は出席できませんが、学会はwelcomeです。 海外の学会のように、700ドル(7万円)もせず、1-1.5万円か、小さい地方会なら5000円くらいで聞き放題です。 さらに質問してもいいのです。

ちなみに日本の学会が安いのは、日本の製薬会社の「頑張り」です。 広告に対する、費用対効果が少なくても、日本の医療の土台を支えているのは製薬会社です。 撤退するのは簡単だと思います。 そこには医療関係者としての、思いが非常に強くあるのだと思います。 ちなみにジェネリック薬品を作っている会社が学会に協力など全くしません。 だからジェネリックがダメだ、というわけではなく、「高い志」をもって、儲け主義だけでない現場で働く会社が、きちんとした先発品を作っている製薬会社なのです。

ちなみに、米国では、ジェネリック薬品と、先発品 は 「全く違う薬ですがいいですか?」と言わないと、何かあったときい訴訟問題になります。 日本では、「同じ成分ですよ」となっていますが、有効成分が同じだけで、その他の90%くらいは全く違うものです。 治験という人体実験も行われていません。 いいジェネリックと悪いジェネリックは大体医師は知っています。 院内処方をしているところでは、「この薬はジェネリックしか置いていません」という場合もあるでしょう。 薬手帳をみたら、「完全な儲け主義だな」と思うことがあり(これは調剤薬局でもそうです)、そこには患者目線で、かかりたくないな、と思います。

通常の診療時に特定健診を組み込んでも良いようにしてますよ、というのは、親切なのか不親切なのか?

当院では、健診と治療は別物だと考え、事情がある場合を除き、特定健診は診療日とは違う日に来てもらうようにしてもらっています。 どうしても仕事の都合上、この日しかこれないし、採血をするなら特定健診を使いたい、という方には健診と診療を同時に行なっています。

国と県に問い合わせてみたところ、どちらも「健診と治療や診療はでる結果や指導内容が大きく違う、大きく性質の違うもの。 としか現時点ではお答えできません。 同時にすることについては決まりごとがないのが実情ですが、性質は違います、とだけ説明させていただいています。 この質問は非常に多いものです」

とのことでした。

例えば、糖尿病の方の尿検査で大事なのは糖ではありません。 大事なのは蛋白と、治療中ならケトン体です。 低血糖ならケトン体が陽性となりますが、特定健診では、糖と蛋白がプラスかマイナスかしかでません。

肝臓や胆嚢の治療中のかたは、ビリルビンも尿検査や血液検査が大事ですが、どちらも特定健診のなかには入っていません。 社会保険の方は尿酸と腎機能を特定健診で検査することができません。 年齢によらず、です。 HbA1cという糖尿病の検査ですが、貧血があれば過小評価して「良く」結果がでてしまいます。 しかし貧血かどうかは特定健診ではわかりません。

お金の損得の問題も重要だと思います。 その点では、法律上問題ないといっても、損をするのは手間だけです。 なので時間がおしい、という以外は患者さんに特定健診と通常診療を同時にうけるメリットがありません。 たとえば、HbA1cは保険では1ヶ月に1回しか測れませんが、安定した糖尿病の方であれば、例えば1ヶ月の診察の途中に年一回、無料の特定健診をするだけで、次の診察の時の糖尿に関する検査や判断料は必要なくなります。 法律上は現在は問題ない、という見解のようですが、今後は不明です。 特か損かを金銭面でいうと、通常診療時に、追加の採血(ときに尿検査)をするのなら、採血の差額代で1割負担の方でおよそ450円その日の診察(健診を含む治療ということです)が得、といえなくもありませんが、本当にドクターが知りたい内容がそこに全て含まれるかどうかは、全くの別問題ということです。

どちらが正しい、間違っている、は現時点ではありません。 ただ、全くの別物であること、また採血・採尿検査で、体の管理を特定健診でしていくのは貧血、腎臓や尿酸のことを考えると、その人にとって不利益である場合がある、ということを知っておいて欲しいと思います。 そのため当院では原則、健診と治療は別物である、という基本に沿ったスタイルを現時点では推奨しています。

四国こどもとおとなの医療センターでは、救急部というのはなく、各科から内科、外科の2人で救急を担当し、何かあったら、循環器、呼吸器、消化器、内科の専門医を呼ぶようにしていました(もちろん、私が当直しているときは、循環器と内科、ときに消化器、呼吸器もみていました。 原則、徳島大学の教えもあり、よっぽどの軽症でなければ、入院を念頭においていました)

つまり、救急医療では、予定の紹介ではなく、医師を選べない、ということになります。

患者さんにとっては、当番の医師によって「運」がかなりあることは否めません。

私は地域の医療の中核をになうのは、大病院だと思っています。 「運」に作用されることが、患者さんにとって不幸になることが今後の課題だと思っていました。

四国こどもとおとなの医療センターは、国立病院機構 善通寺病院 から 名称と建物が新しくなりましたが、医師が変わらないのであれば、全く意味がない、と思っていました。 明らかに髄膜炎の症例を感冒で帰す医師は医療訴訟にまで発展していました。

こればかりは、検討するべきだと思う次第です。

私が徳島大学の第二内科(今は循環器内科と消化器内科に別れています)で習った紹介状の書き方は、それはそれは厳しいものでした。 今はそれが守れておらず、初心にかえらなくてはいけないな、と思っています。

安楽椅子探偵、という推理小説があります。 話を聞いただけで、現場にいかず、推理だけで犯人を特定する、というジャンルです。

医療において安楽椅子医師は、絶対に存在しない、と私は思っています。 ある程度の推理はできても、病気の特定は患者さんを診ないと特定できない、と思っていますし、そういう教育を「厳しく」京都日赤、徳島大学病院、四国こどもとおとなの医療センター、また留学先のマウスにいたるまでされてきました。

日本も訴訟されるような事例が増え、萎縮医療になっていた時期もありますし、今もそれは続いているでしょう。 しかし、今はそれを通り越して安楽椅子医師が増えているような気がします。

調べてみないと分からない、という状況のなか、患者さんやその家族の立場にたつと、「一旦診ないとわからない」と思う次第です。 また、入院に関してですが、カンファレンスで「入院させなかった理由」が必要な病院でしか働いたことが、私はありません。 患者さんがどうしても帰る、ということや、あきらかなコンビニ受診などは除いて、です。 理由なく、初診が救急だった心房細動の患者さんを帰した上司には、カルテが頭に投げつけられていました。 このようなパワハラ的な行為、さらにいえば、カルテを投げる行為(私はカルテは患者さんそのもの、だと思っているので、紙カルテを投げて渡す看護師に注意しましたが無駄でした、個性、なのでしょう、時間帯を一緒に働くことを看護師の上司に言ってやめてもらうようにしたら自然とやめていきました)などは現代では、行き過ぎかもしれません。 しかし厳しい上司こそ、自分を伸ばしてくれる医師です。
さらに言えば、私は著書に書いていますが、「厳格な上司の医師が困っている症例ほど勉強になる症例はない。 その場で自分の意見も言えるように勉強して、どうやってその場を切り抜けるか」が一番の経験です。
たんに患者さんを診た、だけでは、経験0です。

医者も当たり前ですが人間ですので、それぞれ性格があります。 随分前から(現在40歳前半くらいの医師(私も含めて))医師は成績はもちろんですが、人間性のテストが組み込まれるようになりました。

しかし医師向きでない性格、人格を見抜けるテストは難しいのではないか? とはおもいます。 なので米国などでは一般の大学を出て、そこでの奉仕活動や成績以外のことを点数化して医学部に入れるかどうかがためされるようになっています。

今現在、高知大学医学部の学生さんに「プライマリ・ケア」の実習で、おこがましいのですが、指導をしています。 私としては、「大きな病院で医療技術を磨くこと」も大事と説明していますが、それ以上に、「大きな病院で医療技術がある程度身についたら勘違いすることがないように」という説明をしています。
これは、私もですが、医師全員が陥りやすい(どっぷりおちいってしまっている医師はもう話になりませんが)盲点です。 大きな病院では(もちろん私の診療所もですが、特に大病院でのことです)「決して、あなた、という医者にかかりたくて、通院しているわけではない」という謙虚さを持って欲しい、ということです。 もちろん中には、大病院でも「この先生だからかかる」というのもあるかもしれませんが、私の感覚では非常に一部の医師だけですが、そういった医師は当たり前ですが謙虚で、人間性がいいのはいうまでもありません。
診療所の実習を通して学んで欲しいことは、「患者さんにとって一番いい方法を選択するべきである」という原点を忘れて欲しくない、ということです。

私は、異色の経歴をもっています。 研修の途中に父親の診療所に帰って2年間務めた経歴があることです。
そうすると、診療所の医師がどういったことで困っているか、が分かった上で大学病院や地域の最終拠点病院で働いていました。 いくら親が開業医でも、こういった経歴をもつ医師は私が知る限りいません。 医療技術にかんしては遠回りしましたが、all day, all nightで人の倍働き、勉強・研究しました。
大病院で働いている、若手の医師には、もう凝り固まってしまっているよくない考えを持つ医師の下で研修をうけない、うけても流す程度に、「ふーん」と聞き、本当に信頼できる医師のもとで研修をして欲しいと」思っています。