年齢が若く、合併症がない人には、ウイルスが増殖するのを防ぐ薬をださず、「葛根湯」だけを出す医師もいるそうです。 それなら、病院にいく意味がない人がいますね。 最初から、ホームページや外来に「○歳から○歳で、心臓、肺の病気、また下記などの病気がない方は葛根湯だけの処方となります」と書いておかないと、患者さんはびっくりするんじゃないかな? と思います。

1-1.5日症状をタミフルは短くした、という論文と、タミフルで下痢などの症状がでる確率を検討した結果、個人的な処方、だということにびっくりしました。 その病院内での統一性がないと余計に混乱に陥るのでは?
1.5日症状が短くなるとは相当本人にとっては楽になると思いますが、医療で人を傷つけない、という信念なのでしょうか?
いろんな医師がいますね。

上記は全てしていました。 ただ気管支鏡だけは、誤嚥性肺炎の吸痰(これをしないと絶対に治りません)や、挿管(口から気管に管を入れること)困難例においてのみしていました。 管を気管支鏡につけてすると絶対に入るので。
血液疾患も診ていたし、髄膜炎の可能性がある子供さんや大人にたいして、髄液を針で刺して採取していました。 心膜穿刺は論文も書いたほどですが(どういう場合にすると危険でその対処方法)、心臓内科医ならできなくてはいけません。 循環器だけでなく、内科をしていたので、必要にせまられて、もちろん専門でかつ上手な人に最初は教えてもらいながら、危険なことにならないように、一人でできるようにコツ(エッセンス)を掴むと、今度は私に依頼が来るので、かなりの症例をこなしました。 ひざ関節注射もそうです。 心不全になると、偽痛風といって治療の途中で膝が腫れますので、関節液を整形外科医に頼んで、それを病理医にみてもらうのですが、自分でしたいので、習い、習得し、偏光顕微鏡で偽痛風を診断していました。
自分のテリトリーだけに固執せず、他科のテリトリーに浸出することで、治療の幅が広がりました。 その代わり教えてくれる外科の先生のために、循環動態をみるため手術に付き合ったり、術後の心不全や間質性肺炎などを共診で私が担当していました。
救急病院では何でもできないと駄目だと思っていました、もちろん、自分が対処できない場合は力をあわせて患者さんを診ていました。 今日の担当は循環器内科医なので、腹痛や頭痛はみれません、は許されない最終拠点病院でしたし、開業するのは分かっていたので、開業後にはしないことでもしておかないと、それも上手にできるレベル(一回だけ、後ろもらいながらした、は見学で医学生レベルなので、経験したとは言えません)でないと、循環器のみのクリニックになります。 治療はおそらくこういうことをされる可能性があります、と言って紹介するのと、検査や治療は専門ではないので分かりませんがとりあえず紹介します、では患者さんが不安になりますよね? 私にとってはそれが当然であり、もちろん、特化したものとしては心臓の超音波検査(やカテーテル検査・ステント治療)に軸を置き、その病院で最も救急も含め最もレベルが高い一人になることは意識していました。 器用貧乏は嫌だったからです。

友人が見ているようで、ここ最近はほぼ毎日更新しています。 その日感じたことを、一般論として、書きだめておく、それを少しずつ出して行くようにすると、もうすでに10個はストックがあります。

もちろん、最新の論文の紹介や、当院での治療方法なども書いています。

諸々の事情で消さざるを得ないブログもあるのですが、あくまで一般論として書いているのです。

読み手が不愉快になる可能性があれば取り消して「ゴミ箱」行きです。

今のブログでも、不愉快になる人もいるでしょう。 ただ、私は、「最近インフルエンザがはやっていますので、手洗いやマスクを」「高知も寒くなってきました、部屋を暖かく」などの「私が呼んでつまらない」と感じるブログを月に2回のせる意味は、私という医師像を、ぼやかしているだけで、「楽しくないな」「役に立たないブログだな」と思って書きたくありません。 そんなブログみて面白いですか? 役に立ちますか? インフルエンザが流行っている、それプラスアルファの情報が読み手は面白いと感じると思っています。

そう、あくまで、昔私もこういう事例があって、今はこうしている、ということを書いているだけなのに、と思うのですが、本当は書きたいことも実は自粛しています。

数年前に、全く無駄な研修を東京に受けに行きましたが、無駄にならないように、自分自身で考えた結論があります。

講演者が、「包括医療とかいて、ラッスン・ゴレライ(当時はやっていた芸人のネタです)と読む。 その心は、訳がわからない」と言ったのには、がっかりしました。

その他の講師が、患者中心のいろんな医療や介護サービスのことです、と言っていました。

私は、「違う」と思うし、上記はふわふわした言葉で誰でもいえるな、と思ったことでした。 現時点では、私自身は、包括医療は、患者さんを一人にたとえて物事を考える時点が間違っていると思います、case by caseで考えるべきで、中心にいるのは患者さんかもしれませんが、私は昔流行ったゲーム「シム・シティ」が包括医療だと思っています。 そう、まちづくりのゲームです。 それを医療・介護を県や市が中心となって(実際は役人は現場を知らないので良いゲーム展開には絶対にならないので、医師主導がいいのは当たり前ですが、今の所、行政がしていますが、ことどとく失敗してブレまくりの印象です)、ウケないラッスン・ゴレライを踊っています。
どうすればいいか? 町づくりなのですから、患者さんを中心に必ず考える必要はありません。 むしろ中心は、拠点病院でしょう。 その周囲に必要な診療所や中規模の病院、そして色んな種類の介護施設があり、様々な患者さんに対応できるように配置を考えるべきです。
こういった考えは、現時点で私一人かもしれません。 じゃあ包括医療を担当している役人が、具体的にわかりやすい例を述べられるか、、、文書を読む限り分かりにくい、つまり、理解ができてないから、説明ができないのかな? と思っています。 まぁ役人はことなかれ主義で、自分の担当期間だけ何事も起こらなければいい、と考えている人が多い(違う人もいるとは思いますが、2-3年の間に成果を出したい、という人もいて、奇抜なことをしたりするので、それも困りますね)ので、ずっと関わる医師主導型で進めるべきでしょう。 医師会がじゃあすればいいか、実はそうではない。 行政が、詳しい医師をアドバイザーとして呼んで、進めるのが一番いいでしょう。
これって当たり前のことですが(私見です)、どうも(小)役人にはそういう発想がでないようです。

高知新聞にも寄稿しましたが(以前ここにも書きましたが)、バレーボールに例えると分かりやすい。 左心室がアタッカーで血液がボール、相手コートが細胞や組織、右室がセッター、筋肉がレシーバーなら、、、有酸素運動で細動脈〜毛細血管が拡張して後負荷が取れるので、バレーネットが低くなっている証拠だから、弱っているアタッカー(左室)が血液(ボール)を組織、細胞(相手コート)にアタックしやすい。 筋トレをすると、良いボールがセッターに行くので、アタッカーがボールを打ちやすい、というものです。

バレーボールを知らないご高齢の方には、「相撲が良いのでは?」と面白いアドバイスをいただきました。 私はバスケットボールが攻守がすぐに切り替わり、全員が攻撃、守備をするところが好きなのですが、高齢者ほど、相撲が好きなようです。 それは、私が思うに、「すぐに勝負がつくから」だと思います。 めんどくさくないですよね。 サッカーみたいに長くないし。 さぁ弱った力士が左室とすると、血液を組織に運ぶことは相手力士を土俵外に出したり、上手投げなどをすることですよね。有酸素運動は相手力士が子供力士になる感じ、筋トレは、、、これは例えるのが難しいですが、テーピングで弱った箇所を守るので力がでやすい、という感じでしょうか。 相撲に例えるのは難しいですね(笑)