現:四国こどともとおとなの医療センター勤務中は、精神科も内科医がカバーしていました。 センターの精神科は「内科疾患のある人対象」だからです。 20年間、統合失調症、と言われていた人に対して、先輩医師が「シーハンの可能性を否定してないなー」とのことで、ACTHという脳から出るホルモンを測定したところ、非常に低値で、MRIでも同様の結果でステロイド内服で治りました。

こういった見逃し、というか、内科疾患を除外する必要がある病気もあります。 心療内科や精神科では採血するところもあるでしょうが、そういった検査は昔はされなかったのでしょう。

認知症にも同様のことがあり、甲状腺ホルモン値を測定せず、認知症という診断は通常つけません。

12:00受付終了と普段はしていますが、患者さんがまだ中にいるときは12:00を過ぎても、また電話で12:00をまわってしまう、という場合にも対応することもありましたが、明日は院長出張のため、12:00に受付は終了とさせていただきます。

ご迷惑をおかけしますが、ご了承のほど何卒お願い申し上げます。

徳島大学の大先輩からの教えです。 ちなみに、テーゼとは命題、定立の意味で、そのアンチですので、命題に反対すること、ということです。 ちなみに、ジンテーゼという言葉もあります。 テーゼが日本人は優しい、なら、アンチテーゼは日本人は優しくない、で、ジンテーゼは日本人には優しい人もいれば優しくない人もいる、という統合したような意味です。 結局論文は言い切ることはなかなか出来ないので、ジンテーゼに近いものになることが多いかもしれません。

私自身はアンチテーゼを意識しながら、世界初のこと、も論文では通りやすい(当然医学論文は世界初の知見なのですが、ここでいう世界初とは、今まで全くなかった考え方、などをさします)と思い、勉強しています。

例えば、「恋する心エコー」という本は、現役バリバリの最前線で当直しまくりの私が実践ではこうだ、ということを書きました、それも世界初の考え方です。

また、循環器疾患にかかった人は5年以内に7-22%で何かしらの早期がんが見つかる、という世界初の論文を出しています(今年) 以前から発表はしていましたし、学会の教育講演に私のスライドが使われました。

大きな病院では循環器バカでいいのですが、一人で開業することを考えた医師2、3年目から、循環器バカでありながら、他の分野も幅広くみることで、FIT indexという世の中に心エコー検査で有酸素運動をするときの心拍数がわかる、さらに予後までもわかり、左室と右室を統合した指標としても世界初です。 当院の心エコー機器には自動的にどのくらいの心拍数がゆうさん騒動なのかが自動的にでるようにしています。 FITとはフィットネスを想像させるように名付けました。 また左室・右室をfix(統合する)ような意味も込めています。 今後の私のテーゼは、このFIT indexに筋肉の指標を加えたときにより、心リハや運動療法をする人にとっていい指標ができる、ということです。 ただ、指標につかう項目が多すぎると複雑になりすぎることもあります。 いろんなことを考えながら検討する、これが臨床研究です。

 

2週間から毎日、新しく出版する本の校正という直し、をしています。
会社も違う会社からなので、やり方が違い、面白く感じています。

7月の頭には講演会をwebでする予定ですので、40分しゃべり続けないといけません。

お題は糖尿病と心不全、という大きなものですが、もう講演会で喋るのは慣れてきたので、、、
ただ、毎回スライドは使いまわさず(一部重要なもの以外)、飽きさせないように喋るようにしています。

医師会に出席しましたが、やはり眠くなってしまいました。 他の回でも、興味がある内容でないと寝てしまいます。

この自分の特性をいかして、こんな飽きっぽい自分でも寝ないで聞ける、というスライドを用意するようにしています。

 

毎月ある程度の規模の病院や診療所では発刊物をだしています。 暮らしと介護 は 社会福祉法人 秦ダイヤライフ福祉会が発刊しています。 理事長(創設者)は、医療法人大和会と同じく、私の父親の福田善晴 です。 ダイヤは、ダイヤモンドからとったようで、金のゴールドよりも、最高に輝いてほしい、という願いが込められた名前です。 書き物や、ネーミングは、すべてセンスです。 頭のセンスです。 服を綺麗に着こなすセンスは関係ありません。 またこういった書き物で、人を不快にさせることを書くべきではありません。 自分自身はここに書いているブログとは違った感覚で暮らしと介護の「すこやか通信」を理事長から隔月で書く様にしよう、と言われてから担当しています。 少しでも理事長の負担も減らしたい、その代わりかなり優れた文章を書く親父を超えた文章にしないといけないな、とプレッシャーも感じています。 いくらいい書き物がそこにのっても、全体として変な、場違いな文章が載ってしまうと、なぜこんなことを書くのだろう、と思われるでしょう。 人が見るもので、身内だけが見るものではないのです。