糖尿病を患っている患者様は、「HbA1c」という数値にこだわると思います。 私も大事な数値だと思っています。 近年糖尿病学会(私も2回ほど、演題発表をしています。 また私の論文が海外の糖尿病学会誌に紹介されていたり、県内の糖尿病治療のアドバイザリーの契約もしています)では、HbA1cを低血糖を起こさないように、高齢者では低くしなくていい、というガイドラインが出てきています。

これは、糖尿病治療に詳しくない医師が、低血糖を助長させるような薬剤を処方するのを避けるため、と専門医の資格をもった友人の医師と言っていますが、専門医のなかでもガイドラインを遵守することが最も大事、ということや、非専門医も、同じような、HbA1cを下げない治療をしています。

私個人は、ガイドラインというのは、低血糖を起こさせない、と同時に、大人数を調査してこれくらいならいいだろう、という数値をだしているだけなので、同じ75歳でも、ケース by ケースだとおもい、8.0%以下ならいい、とかではなく、7.0%を下回った方がいい、と思っています。

もちろん低血糖をおこさないように、最もその人にあった、いい薬を処方するようにしています。

外来でのインスリン治療導入も可能です。 当院で最初に導入した方は10人中9人以上は半年くらいで、インスリンをしなくてもいいようになりますが、他院非専門医で、今はつかってはいけない薬をのんでいて、導入した場合は、すでにインスリンがなくては生きてけないからだにされている場合もあります。

当院の長は、院長である私ですので、よっぽど変な間違いを起こさない限り、責任は私にあります。
そのために私は院内のルールを決める権利があると思っています。 当然のことです。

大きな施設になると、各分野の長が責任者になることでしょう。

私が決めているのは、「ほうれんそう」は間違いで、相談がさきで、報告は後、ということと、身だしなみ、の2点です。 あとは心情的に頑張っている人(当院では頑張っていない人がいないのですが)には、その努力に対して、私ができる範囲のことができれば、と思っています。

 

気管支炎、気管支肺炎、また肺炎時には、最初(無理なら、早期)の段階で、痰の検査をしておくべきです。

理由は2つ+アルファ、です。

⒈ 原因菌が何か? 抗生剤の耐性化をみる必要がある(1週間かかるため、早く検査をしておかないといけません)

⒉ 肺結核を否定するため: 高知では少ないかもしれませんが、人が密集する都会では必須です。 レントゲンでは早期の肺結核はどんな形で見えるかがわからないためです

アルファ.癌が疑われた場合、細胞診をとる必要があります。

また、肺炎などで、病院に紹介させていただくときに、私が香川の四国こどもとおとなの医療センターで働いていた時「肺炎です」だけで紹介され、その前に開業医の先生からいろんな薬が投与された後だと、痰の検査をしても結果が変わってきます。

そういった経験から、当院では、できればその場で痰の検査をしていただく場合があります。 それは患者さんのためです。
1週間たっても治らない、そのときに、痰の検査をしていれば、効かない薬をださなくてすむ、ということがあるためです。

また、1年後に同じように気管支炎などを起こしても、投薬する薬に、効かない薬を最初からだされない、というメリットがあります。

 

おそらく現時点でも、大病院と診療所で入院・外来の心リハを開設して責任者になったのは私だけだと思います。
そんなわたしなので、四国4県と本州では1県から10施設くらいから開設や開設後の仕方、などを講演させてもらいました。
最初に話すのは、十分な備品などは全く必要なく、患者さんの需要があるかどうか、という話です。

心リハがいい、のはわかるとして、開設したとしても、患者さんの需要がなければ意味がない、ということです。 例えば、ほぼ大病院での講演が多いので、個人的に話をさせてもらうことがあるのですが、徳島県の先生には、病院ではいつでも開設すればいいのですが、開業したらすぐにするのは良くないです、と話しています。 実際にその先生も開業後はしていません。 しなくて良かった、と学会であったり、電話で話すときにそう言っていただけます。 しかし、開業して数年がたてば、心リハを開設してもいい、という理由を説明していますので、今後、当院や徳島の先生も開設するかもしれません。

こういうのは経験からの法則です。 心リハがまだ四国で一般ではない以上、徐々に浸透していけばいいと思っています。

私が当院を開院したときも、心リハよりも、糖尿病治療に大事な、常勤の管理栄養士がいて、栄養指導が重要と思ったのはそういった経験からです。

物事には順番があると思う次第です。 最初から心リハでの開業をしていたら、心リハだけのクリニックになってしまい、患者さんの全身をみることができない、ということなのです。

私ごとですが、単独で執筆した、自己満足の自費出版でない、依頼をうけて執筆した、「心臓のエコー検査」の本が2冊(34歳と36歳の時に出版しています。アマゾンの医療のエコー部門や心臓部門で1位となんどもとってます)と、医学書では、学会からの依頼で共同執筆(四国では私だけです)の、「心臓リハビリテーション」の本を書いています。 その後、当院にもおいていますが、一般向けの医学書ではないmookと呼ばれる特集の本に、2冊執筆し、3冊目がもうそろそろ発売されます(これも数人の医師に依頼がきたものです)

さらに、最近になってやっと書き終えた、違う会社からの私個人への単独執筆依頼の「心臓のエコー検査」の本が発売されることが決まりました。

つい先日は、正式に、ついにエコーではなく「心臓リハビリテーション」の医学書の執筆依頼がきました。

非常に名誉なことで、依頼していただいた医学出版社の編集者の方には感謝してもしきれません。 必ずいいものを書きたいと思っています。

妙な自費出版の自分史のような本を製薬会社に売りつける医師も県内にいます。 そういった行為は最低だと思います(買わされた会社はどうするのでしょうか? どうせ、そこの会社の薬をつかわないぞ、という脅しのような手法です。需要など全くないでしょう) 正式な「医学書」は間違いがあってはいけないので、検閲が入ります。 そのためには相当勉強しないといけません。 また、読んで面白くなくてはいけない、と個人的には思っています。 なので私の書く医学書は一風変わった医学書になっています。