徳島大学では、軽症のものはフォロー(経過観察)が必要、ということになっています。

微量なものは、生理学的に、特に問題ない、とします。

さて、心エコーは、撮る技術もそうですが、レポートを書く技術が最も大事です。

例えば、逆流が微量でも、弁の接合不全や逸脱があれば、軽症に格上げして1年後フォローが鉄則です(施設によって変わってくると思いますが、ほったらかしにして、5年後10年後に取り返しがつかないことにならないようにしないといけません)

閉鎖不全と逆流がごっちゃになっているレポートをよく見かけます。 閉鎖不全があっても、逆流が微量ならフォローの必要は基本ありませんし、患者様が気になるなら1年後のフォローでいいと思っています。

4つの弁で、もっとも逆流が見えやすい(というか必ず見える)、三尖弁での逆流が変な方向に向いていると、僧帽弁や他の弁でも6-8割の確率で接合不全か逸脱症がみられる、という剖検(解剖)での報告があります。 つまり、一つの弁だけをみるのではなく、他の弁の逆流をみると、僧帽弁の見方が変わってくるのは当然です。

こういったことは基本なのですが、逆流なし、とするか、逆流はない程度だが、弁組織そのものに接合不全があるのでフォロー必要、と書けないと患者さんのためになりません。

あとは、微量と軽症の違いが明確にされていません。 教科書には、カラードプラ(逆流した血流の色)の占める割合、などと書かれていますが、これは全くの間違いです。

「なんで軽症なんですか? 微量を軽症としていませんか?」「本当に経過観察は不必要なのですか?」 と思う場合があります。

CT検査では、単純性嚢胞(水や血清成分が袋状になったもの)はそのサイズのみをレポートしますが、中に隔壁(部屋の仕切り)があったりすると、Bosniak分類によって分類されます。 実は造影剤を使わないとわからない部分があるのですが、私はエコー検査でも、「嚢胞あり」とは書かず、単純性なのか(Bosniak分類 I)なのか、それ以上なのかをエコーである程度見分けるように心がけています。理由は高齢であったり、CT検査が受けられない方がいるからです。

Bosniak分類では、IからVIまで、IIFを入れると5分類に分かれます。 I(単純性)、II(隔壁(嚢胞の部屋を仕切るもの)が多い)のものは、悪性度は低く良性とされます(そもそもBosniak分類はCT(しかも造影剤を使用しての検査)での分類です)

IIFは造影CTで造影効果があり、Fはfollowの意味であり悪性になる可能性があり、IIはフォローの必要性低く、IIFはフォロー必須です、IIIは隔壁が非常に厚く、形も不整なもので、IV型は内部に腫瘤(ポリープのようなものです)がある、と分けて考えなければなりません。 IIFですでに5%の癌の可能性があり、IIIだと50%の確率で癌、IVだとほぼ悪性(癌)であるため、CT検査を造影剤をしながら検査(もちろん、造影剤を使わないCT検査と比較してが重要です)が必要です。

嚢胞があるね、水たまりの袋があるね、 だけではなく、 賢い患者になるには、悪性度はどのくらいですか? と聞く必要があります。

本来はエコーで分類するものではないので、より詳しくみる必要があります。

※2019年のブログを改変しました。IIF以上でフォロー必要です。 IIでフォローが1年後に必須かと言われればIIかIIFか造影剤を使用しないと不明な場合があったり、放射線科専門医でも造影剤を使用しないと判別困難な場合があり、造影剤が使用できない患者さん、専門読影医がIIかIIFで迷う、という場合は1年後以内のフォローが必要ということです。 当院ではエコー検査をしていますが、CT検査(造影剤を使用しない)を福田新造消化器内科で行うことがあります。 IIの場合にフォローが必要と2019年に書いたことで混乱をさせて申し訳ありません(2022年)。 エコーでフォローせざるをえない場合や上記に該当する患者さんについてはIIでもフォローしているとIIFの可能性がでてくる、ということから、単純CTでIIと診断され、IIFの可能性がありえる場合フォローが必要と思う次第です。 エコーなら尚更、ということです。

当院では、開院当初から、着崩さないこと、髪留めも無地のゴムを使用すること、カラフルな靴は使用しない、ということを徹底してきました。 いろんな病院で働き、たくさんの病院、診療所でバイト(外来だけ、当直だけ)をしてきましたが、身なりがきちんとしていないところは、恐らく色んな規則も緩いんだろうな、という印象を持ちます。 例えば警察では厳しい規則がありますよね?
私は大事なことだと思います。 治療をうけるにしても、その印象で治療成績って変わるのでは? と思うからです。

 

私自身は、論文(英文に限る)は必ず読むようにしていますし、一般的な医療本も読みます。 介護のことに興味があれば本屋で吟味して買います。 もちろん俗っぽい本も買います。

ただ、現在非常に忙しく、英文の論文を読むことで精一杯です。

読まないのは、興味が薄いか、押し売りの本か(当たり前ですが笑)、自己啓発の本は、決して読みません。

「本を読むこと」は貴重な時間を費やすことになります。 無駄な時間を、忙しい時に読めるはずもありません。

医者をしていると、営業の人の気持ちが全くわかりません。 なぜなら医師という仕事は他の医師からも評価されるからです。 例えば、四国こどもとおとなの医療センターでセンター長になる前に赴任当時は、カテーテルによるステント治療をした後、3ヶ月と9ヶ月後に検査をして、その後はかかりつけ医の開業医の先生に任せていましたが、ステントの種類、長の考えなどで、1ヶ月後と半年後、や、新しいステントが主流でしたので、3ヶ月後と1年後、など、私が長になったときに変更した内容もあります。 開業医になってもそうです。 胆嚢腺筋腫症が見つかれば1年に一回はお腹のエコー検査が必要ですし、レントゲンやCT検査で肺の結節が見つかれば、その大きさによっては次回みる時期がだいたい決まってきます。 なので、「意味のない検査はしない」が医師の頭の中にはあります。 逆にものを多く売ったほうが評価される商社とは違うわけです。

さて、私が34歳と36歳の時に執筆させてもらった、内容は「心臓超音波による心不全の治療法」について、2冊「商業出版」という形で検閲を受けたものに関しては献本といってお世話になった方などに1冊送ったりします。 例えば謝辞に名前が載っている方をはじめとし、自分の恩師や後輩にも、です。 とある先生は、自費出版(検閲をうけません、誰でもだせます)の、医学書まがいを、営業でまわる製薬会社の人にノルマで100冊単位で買わせたそうです。 なにを考えているのか不明です。 そもそも世に必要とされているなら商業出版になるだろうし、趣味や自分の考えの押し付けを、他人の大事なお金や、本棚のスペース(まぁ捨てることになるのでしょうが)、上司的な振る舞いをされるなら読む時間、を奪うだけの可能性のある自費出版は、献本こそすれ、他人に買わせるものではありません。 私自身も祖母の歌の本を愛媛新聞社で自費出版しましたが、もちろん売り物なんかではありません。 良い物なら買ってに売れるでしょう。 売れる本がいい本で、売れない本は何かが足りない本です。