私は小学生の頃から推理小説が好きで、大学生になってからは、ブログで短編や少し長めの推理小説を20個ほど、社会人になってからも書いています。 その推理小説はいわゆる、トリックが少し変わったもので、文章自体がトリック、という叙述トリックを用いています。 シャーロック・ホームズは好きですが、王道のサスペンスではないのですが。
さて、内科医師の仕事は推理小説に非常に似ています。 患者さんが「私の病気は○○です」という方がほとんどいません。 特に大きな病院ではそうです。 キーワードで一発診断ができる場合や、すべての可能性を考え、少しずつ検査をしながら残ったものが診断、ということもあります(このことが分からない医師がいますが、恐らく外科をしていて内科を標榜している場合、慣れてないのだな、と思います。 もちろん優秀な外科医は内科医よりも内科学に優れている場合も多々あります)
外科は「治した」という達成感があると思いますが、私自身が循環器内科で心臓カテーテル治療でその感覚はわかるので、外科医を目指す意味はなんとなくですがわかります。

究極は放射線科です。 内科でも外科でもそうですが、「診断さえ」つけば、あとは治療はほとんど決まっているのです。 その診断に、私の好きな聴診や視診、触診も大事ですが、CTだけで診断してしまうことに憧れ、放射線科医になりたかった、とすら思います(ただ放射線科医はドクターズ・ドクターと称され、医師に教える医師ですのでそうとう優秀でなくてはいけません)

しかし最高の内科医の醍醐味は、「症状がない病気を早期でみつけて健康寿命を延ばす」ということに尽きると思います。 徳島大学の第二内科に入局し、心臓カテーテル、各種エコー、胃カメラ、さらには虫垂炎の手術をこなしていた父親を見ていた私にとって、開業するにあたり、当然(虫垂炎の手術は別ですが)それらすべてが出来ることが当たり前を思って修行していました。

サボった挙句、その病院と折り合いがつかなくなって、気をてらった開業をする医師もいます。 私には信じられません。 大病院では「過労死するかも」と思って診療していたのですが、、、 自身の生活の質も大事だと思う医師もいると思いますし、私自身も若い若いと思っていましたが、36時間連続勤務などはもう出来ないでしょう。 しかし師匠の教えを守り、毎日、医学雑誌、論文を書くこと、執筆業などをすることで、医療の質を落とさないようにしています。

当院で働いている方は働き方、また当院にかかってくださっている患者様にはできるだけ、その方の事情に合わせて治療をしたい、と思っています。 私自身は、京都日赤で消化器内科を中心に研修していた時に、一旦実家である、福田心臓消化器内科で往診や町医者のことをして、その後、徳島大学の医局に入り、循環器内科だけでなく、放射線科まで研修し、心臓リハビリテーションセンター長をしていました。 その後、留学もさせていただきました。 開業するにあたって、通常、開業医のもとで研修する方は少ないと思います(私が知る限りでは私だけです) 往診(訪問診療)もしていたので、その方の病院での診療だけではなく、自宅でどのように暮らしていて、困っているか、が想像できるようになりました。 なので、当院にかかってくださっている患者様は私自身がその方の体の具合をわかっているので、事情に合わせて介護についても深く考えて、一番いい方法を模索していきたいと思い診療にあたっています。

しかし、制度のことなど(大事なことですが)で、深く考えていただけない場合もあり、私自身、患者様に申し訳ない、と思うことがあります。 医療人(医師以外でも)としては、自己防衛も大事であることはもちろんですが、患者さんの要望などを汲み取る努力をする必要があるのではないでしょうか?

これはあくまで私見でが、「自分の家族であればどうするか」、を考えない医師は医療をするべきではない、と思います。 医師免許をもった医療技術者(その技術も稚拙な場合もある)、と思います。 (もちろん、無理難題を要求された場合は別です)

とある先生のご講演で非常に感銘をうけた言葉です。 死生観まで話される先生で、私も見習わなければ、と思ったことでした。

四苦とは、生:生きることの苦しさ、病:病気になって苦しむこと、老:老いについて悩むこと、死:死にたくないという恐怖

のことです。 私にできることは、病気については治す、老いについてはリハビリをする、という治療が医師がならうことです。 心療内科では、生 についての専門家ですが、当院でもご高齢の方に対して、また若い方でも相談にのったり、一時的に投薬したりして、紹介もしています。

しかし、死について、私も考えることが、昔からあるのですが、その人その人の死生観もあるので、重視しながら、診療をしたいと思っています。 私自身が若いのですが、できるだけ相談や傾聴をしたいと思っています。 いたらない部分も医師も人間ですのであると思います。 日々勉強だと気付かされた講演でした。

私は一宮の当院を中心に半径2.5kmに住む方で、気管支炎になった時に、どのような薬に耐性ができているか、を四国で初めて論文にしました。 大きな病院ではできなくても、個人のクリニックでこのようなことをおこなって、mapにすれば、患者さんの住所がわかれば「出しても意味がない」抗生剤が減ります。 医師会がおこなうのは、このような行動ではないでしょうか? 私が会長や偉いさんならそのような提案をするでしょう。 そのが高知県医師会の売りにもなるし、一般の方の役に立つことなので。 気管支炎に対して初手を誤らないことになります。 当院には南国市や薊野からくる患者様もいますので、だいたい痰の帰ってきた結果をみると、このかたの住所は、、、とある程度推測できるようになりました。
さて、私は心エコーに関して2冊著書があります。 自費出版の自己満像本ではなく、売れる、ことが前提で売れなければ最初から発売などなし、の商業出版です。 35歳で医学書を書いた人(医師)はあまりいませんし、実は書いた人もいますが、全員その後教授になったり、その手の偉いポストにいる方だったりします。 開業医で若くして「どうやって出版にもちこんだの?」と質問してくる人は、私は大好きで、「同じ人種だ」と瞬時に思います。 そう、本を出した、ことよりも、その過程が気になる、という人種です。

ここまで抗生剤の使い方や、耐性化が問題になっているのに、なにも考えずに処方する方が、開業して思うのですが、恐ろしい。 だからと言ってたとえ感冒だとしても、ある一定の基準を満たせば、抗生剤の投与で39人中1人が肺炎にならずにすむのです(私は高い数字だと思っています、ちなみに対象がずれていたら4000人に1人となりますが、肺炎予防にはなるのです。 不勉強だと、ここを訳さずに、日本語ダイジェストで、「意味がない」という部分だけを切り取って見てしまうことでしょう)
「ほー、そのような論文があって、4つの薬には要注意なのか」だけで終わるのではなく、繋いで行って、高知県全体の耐性化を2-3年毎に見ていく取り組みを、「なぜしないのか?」 と思います。
医師会が受け取っている金額で統計学者を雇って、集まったデータからmapを作る、これだけなのです。 これが「本」の作り方です。 まず、新しい考え方、そしてなにより「売れる」ことです。 内科医師なら絶対に買うでしょう、当然です。 一病院に1冊の本となります。 また、一般の人も買うかもしれません、自分の体を守るために。

日が暮れるのが早くなってきました。 私自身、大学は栃木県で6年間過ごしたので、雪が冬には3回ほど積もって、慣れない後輩が車で自損事故を起こしたりする前兆があるので、「スタッドレスタイヤ」にしなよ、ということを言っていました。

素晴らしい人間は心に四季をもっていると、言われています。 私も教えられて、本で見たことですが、
人に接するときは暖かい「春」の心で接する

仕事は激しい熱さをもった「夏」の心で臨む

勉強するときは「秋」の涼しさの心をもって打ち込む

自分に対しては、「冬」の寒さのように厳しく管理する

ということです。

 

どれも実践できず、また違った考え方もあるのでは? と日々反省の毎日です。
何かを考えながら普段の生活を送ることは非常に大事だと感じる、「秋」の季節になったな、と思う次第です。