当院では、8/13(水曜日)から8/16(土曜日)まで、診療所はお休みをとらせていただきます。
また9/13(水曜日)は院長研修のため、休診とさせていただきます。
何卒ご了承ください。
当院では、8/13(水曜日)から8/16(土曜日)まで、診療所はお休みをとらせていただきます。
また9/13(水曜日)は院長研修のため、休診とさせていただきます。
何卒ご了承ください。
現状、かかりつけ医一人に全てお任せ、という考えがあると思います。
しかし私は主治医二人制がいいと思っています。
例えば、B型肝炎の患者さん。 私はガイドラインに沿って半年に一回の(採血と)画像診断(エコーやCT)をしていますが、腹部エコーは私、CTは専門読影で私だけでなく放射線科専門医に診てもらうようにしています。 これで主治医が2人になるわけです。 エコーは胆嚢疾患に強く、CTは客観的であり思わぬ疾患が見つかることもあります。 あと、「きずなクリニックは心臓疾患や、癌を見逃さないですよね」という患者さんが多く通院されていると思っています。 そのため必要な検査は患者さんの声も反映し(強制することはありません)、実施するようにして、怪しければ基幹病院にさせていただくようにしています(なんでもかんでも紹介するわけではありません)。 これも主治医2人制になります。
例として、CT検査で私が腎臓がん疑い、放射線科専門医も腎臓がん疑い と なれば紹介し、何もなければそれはそれでいい、という考えです(実際、癌だったということも多々あります)。
こういったシステム構築が私の考える診療所で重要と思っていることです。
これは私が香川の国立善通寺病院(現:四国こどもとおとなの医療センター)に勤務していた頃の話です。 心リハビリテーションを始める前は、「面倒だ」「仕事が増える」と思い、心臓外科部長からの指示に足を踏みとどまっていた私ですが、最初に部長の手助けもあり、順調に「入院だけでなく外来部門」も開設ができ、今思えば、なぜすぐにしなかったのだろう、とすら思います。 私は循環器内科医を主な生業としていますので、抗がん剤治療に関しては「経験がない」「専門外だから責任は取りたくない」ということは通常ですが、今でも私のメンターである、内科全般の医師の手助けもあり、超がつくほどの悪性腫瘍の、テラトーマの症例を患者さんとご家族からのご指名もあり責任を持って抗がん剤治療を施行し、縮小した腫瘍を外科医に摘出して治療をすることができ、その経過でさまざまなことが経験でき、診療の幅が100倍広がった、と思います。何より患者さんの悪性腫瘍を取り切れたことが一番重要なことです。 また呼吸器内科医が不在になった時は、外科医が手術などで手が開けれない時以外でも、気管支鏡での吸痰を私が担当するようになりました。 痰による誤嚥性肺炎の治療に貢献できる経験を指導もありましたが主に独学で安全に配慮してできるようになりました。 救急外来で髄膜炎かもしれない症例に直面したときは、診断について教えてもらいながら修学し、死亡の可能性が極めて高いヘルペス性髄膜炎(脳炎になるので)を診断できました。
題名にある英語の言葉は、アメリカの実業家ヘンリー・フォードが残した言葉で、
日本語訳にすると「あら探しをするより改善策を見つけよ。不平不満など誰でも言える」になります。
日本でも同じような言葉で、「やらない理由を探すより、できる理由を探す」というのがありますよね。
もし腕組んでただ指をくわえているだけの人がいるなら、言い訳を並べている時間に世界は変わりません。 (実際にそういう人は 医師25年の経験の中、何人もいて、成長が全くないな、という人を多く見てきました)
サポート体制があってこそ、未経験の領域にも安心して挑戦できると思っています。
もちろん技量や設備が追いつかないと判断すれば手を出さない判断は患者さんの不利益になるので必要です。
行動を始められるように支え、学べる環境をつくる。それが医療の現場を強くする近道だと私は信じています。
先日、とある学会で座長を務めてきました。
ありがたい役目ですが、正直、なかなか骨の折れる仕事です。
自分の発表と違って、座長というのは、人の発表を見て、時間を守らせて、質問が出なければ自分で話題を振って――
言うたら、会の流れを裏で支える黒子的な存在です。
ただ、今回ちょっと思うところがありました。
発表の内容が、どうもピンとこない。
せっかくの場なのに、「これは誰のためになるんやろう」と思ってしまうことが続きました。
でも、それを経験して気づいたんです。
自分もいつか、どこかで、同じように“誰のためにもならん発表”をしてしまっていたかもしれん。
だからこそ、これからは――
学会でも、診療でも、「相手に届くもの」「役に立つこと」を伝える側でおりたい。
それは、普段の外来でもまったく一緒やと思っています。
患者さんが「わかりやすかった」「来てよかった」と思えるように、
一つひとつの診療に、ちゃんと中身を込めたい。
今回の座長経験は、「自分が場のレベルを引き上げる側に立たなあかん」と改めて感じるきっかけになりました。
学会でも、診察室でも、
ちゃんと伝わる言葉と態度で向き合っていきます。
私は医療を「ドラゴンボール」で例えると、悟空が気を感じ取るように、聴診器という拳で患者さんの病気を知る修行をしてきました。 しかしそれだけではフリーザのような強敵には通用しないことも同時に分かりました。
だからこそ私は、心エコー図検査、腹部エコー検査、などの各種エコー検査や、胃・大腸カメラ、嚥下ファイバーでの嚥下評価、という かめはめ波、界王拳などの必殺技を駆使するための修行も重要視してきました。
そういった、問診や聴診などの身体所見に加え、検査の精度を高めることで、フリーザが変形して強くなる前にやっつけることが、医療では、こと開業医では大事だと思います。 悟空のように相手が強くなるのを待つのが正解ではありません。
さらに最もドラゴンボールの世界で大事なものは、最強の技、ではないことも医療の世界ではあります。 患者さんの不安を和らげ、活力を回復させる“仙豆”だと思います。
私は医師として、検査だけの技術者(戦士としての戦闘力)だけでなく、仙豆というものの力をより発揮できるように、修行・研鑽していく必要があると思っています。